「呪霊」という意味を持つ漢字の字解を学びます。
祟、改、救、弑の字解です。
さらに、
ウ冠の中に 祟 と 手でサイとよむ字。
(引用は平凡社の漢字暦、また、白川静著作他)
更新日 2022年10月30日(日)
「救」も「改」も初形初義は「共感呪術的」で、それが忘れられたという・・
※『金枝篇』ジェームズ・フレイザー(wikipedia)
甲骨文
==以下引用===========
祟(スイ たたり)毛深い獣の象形字
「字統」
【説文解字】 三下
「楚の人、吉凶を卜問することをいいて、という。手の祟を持するに従う」
字形は詛楚文
『字統』蛇をうつ形。
わが国では改と誤られてその字が用いられるが、字形よりいえば蛇をうつ形がその正形である。
詛楚文
http://www.artnet.com/artists/yang-yisun/
最後から3つ目の字。
以下『字統』より
詛楚文がわからないのである・・
楚を呪う文の字体であるようだが?
甲骨文、金文、篆文はいいが、詛楚文、それはなんでしょう?
篆文に「大蒙」(摘文)と「小蒙」(豪文) があり、
「大豪」は、「瘤文」とも呼ばれ、「小蒙」は「蒙文」とも呼ばれるが、普通「大蒙」と「小蒙」を一括して「蒙文」と呼ぶ習慣がある。
「大蒙」には「摘文」・「石鼓文」・「誼楚文」が 含まれている。
「戦国時代」後期の「秦」の文字では・・ということである。
詛楚文
==以下引用===========
求は甲骨文の字形によると祟と同じく、祟りを成す呪霊を持つ獣の形。
救箱の獣をうってその呪霊を駆使して、他から加えられている呪詛を免れる共感呪術的な方法をしめす字、
以下中国Baidu百科より詛楚文 (秦石刻)
有秦嗣王,敢用吉玉瑄璧,使其宗祝邵鼛布忠,告於丕顯大神巫咸,以底楚王熊相之多罪。昔我先君穆公及楚成王,實戮力同心,兩邦若壹,絆以婚姻,袗以齊盟。
曰:葉萬子孫,毋相為不利。親即丕顯大神巫咸而質焉。今楚王熊相康回無道,淫佚耽亂,宣侈競從,變輸盟制。內之則暴虐不辜,刑戮孕婦,幽刺親戚,拘圉其叔父,置諸冥室櫝棺之中;外之則冒
改久心,不畏皇天上帝,及丕顯大神巫咸之光烈威神,而兼倍十八世之詛盟。率諸侯之兵,以臨加我,欲滅伐我社稷,伐滅我百姓,求蔑法皇天上帝及丕顯大神巫咸之恤。祠之以圭玉、犧牲,逑取我邊城新隍,及於、長、親,我不敢曰可。
今又悉興其眾,張矜億怒,飾甲底兵,奮士盛師,以逼我邊競。(讀作境。)將欲復其兇跡,唯是秦邦之羸眾敝賦,鞟䩱(音俞,刀鞘也,言以革飾刀鞘也。)棧輿,禮使(上聲。)介老,將(去聲。)之以自救也。
繄(亦)應受皇天上帝及丕顯大神巫咸之幾靈德,賜克劑楚師,且復略我邊城。敢數楚王熊相之倍盟犯詛,箸諸石章,以盟大神之威神。
篆文
==以下引用===========
左は祟の初形。
式は呪器。
呪具の工を用いて呪獣の汚邪を払拭することを弑(し)という。
もと汚邪を去る意であったが、のち弑殺の意となった。
篆文
==以下引用===========
祟りをなす獣を廟中でうつ呪儀をいう。