「国(國)、邦、県(縣)、土、地(墜)」の5字字解です。
(引用は平凡社の漢字暦他) ・・
今年度からは、一般に、より明快な『常用字解』を併用します。
更新日 2020年 6月8日(月)
金文
(左は「漢字暦」、右は「常用字解」より
)
『常用字解』(白川静 平凡社 初版2003)のp209)
会意。もとの字は國に作り、□(い)と或(わく)を組み合わせた形。
或は□(都市を取り囲んでいる城壁の形)の周辺を戈(戈)で守る形で、國のもとの字である。
或がのちに「或いは」のように用いられるようになり、混同を避けるため、或に改めて□を加えて國とし、武装した国の都をいう。
唐代の則天武后(7世紀の女帝)は國が限定するという意味を持つ或を要素としていることを不満とし、或の代わりに八方(あらゆる方向という意味)をいれて圀(こく)の字をつくらせた。この字は今徳川光圀(みつくに)(黄門)の名前に残されている。
国の字形は國の草書体から生まれた略字であるが、今は常用漢字として使われている。
金文
『常用字解』p580
形声。音符は(ほう)
【説文解字】 六下に「國なり」とあり。邦国(くに)をいう。
篆文
『常用字解』p163
会意。もとの字は縣に作り、■と系とを組み合わせている。・・
2017年夏休み企画@漢字ミュージアム
2017年8月3日
■は木に紐で首を逆さまにぶら下げている形で、下に髪の毛が乱れ垂れている。
系は紐。縣は木に紐で首を逆さまにぶら下げている形で、「かける、つりさげる」の意味となる。
縣が後に行政の単位の県の意味に使われるようになって、別に懸(かける)の字が作られた。
周王朝の時代には国が直接に支配し、中央に直属する関係の所を県といった。
紀元前221年、中国本土を統一した秦の始皇帝は、全国を36郡に分け、郡の下に県を置いた。
わが国では1871(明治4)年、藩を廃止して3府302県が設置されたのが、行政区画としての県の始まりである。
境界に敵の首をぶら下げるというのは、古代では中国以外でも行われていたようだ。
この企画展では特に
「幸」の字についての感想(異議申し立て)が多かった。
「手枷だけの刑で逃れられるなら、僥倖であり、
重い刑罰を逃れるというので幸というのであろう。」
『常用字解』(白川静 平凡社 初版2003)p192‐193)
甲骨文
『常用字解』p475
金文
『常用字解』p433
墜は神の降り立つところに神を祭り、神の降り立つところという意味があった。
以上