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笠原宏之氏の 『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語 (光文社新書 352) 』を以下目次読書します。(kindleでも読めます)
経済産業省の「JIS漢字」、法務省法制審議会の「人名用漢字」、文部科学省・文化庁文化審議会国語分科会の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開 』(三省堂2007.3)があり、後者により、第三五回金田一京助博士記念賞を受賞。
◆ NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 漢字と日本語の文化史 (NHKシリーズ)言語の差異や摩擦を和語表現の多様性へと転じた訓読みは、英語や洋数字、絵文字までも日本語の中に取り入れた。時代の波に晒されながら変容してきた訓読みのユニークな例を辿り、奥深い日本語の世界に迫る。
【内容】(「BOOK」データベースより) 訓読みは、発音も概念も文法も全く異なる中国語の漢字を受け入れ、それを大和言葉で読むことに始まった。以来、日本人は、漢字の読みとしてだけでなく、英語や洋数字、さらには絵文字を日本語に取り入れる際にも、訓読みの手法を発揮した。日本人が独自の感性による創造を加えながら、各時代の中で発展させてきた訓読みは、今も自在に変容し続けている。そのユニークな例を辿り、豊かで深遠な日本語の世界に分け入る。
世界の言語の中でも、かなりユニークな文字を用いている日本語。特に、漢字と日本語が交錯する多彩な「訓読み」について、文字・表記のシステムと運用の両面から取り上げ、関連することがらに触れながら考察する。
「意識」すると分かる訓読みの面白さ――中国で生まれた漢字を受け入れ、それを固有語である大和言葉で読んだことが訓読みの始まりである。
漢字を日本語の表記に適合させようとしてきた苦闘の歴史は、情報メディアが革命的に変化した今でも続いている。
そこには、表現創作の苦しみ、学習の困難ということばかりでなく、創造の歓びや時には遊びの愉しみなどもあった。
(p13) 中国では「山」は岩が多く、自然信仰の対象であったほか、天帝に通じる神仙世界であったのに対し、日本での「やま」は木が豊かで、神々や祖霊の宿る世界とされていたようだ。そうした事物や観念の差異をも超えて、「山」という漢字は、もともとの音(おん)の「セン」や「サン」の他に、さらに「やま」とも読み慣わされるようになった。
(p14)訓・・古くより、その字義つまり漢の意味に沿って「おしえ」や「よみ」と読まれることがある
(弥生時代末から古墳時代)
(古墳時代から推古朝)
(p25) それぞれの漢字には、大もとなる字儀(漢字の意味)、つまり「本義」」があった。
(本義の例)
「道」という字は、戦いによって刈り取った異民族の「首」によって清めれれた道と考えられる(by白川静)
(p27)日本語と中国語は、本来、系統を異にする、全く異質の言語であったため、漢字の字義とワ語の語義とが必ずしも一対一で対応するとは限らなかった
(p28)早い段階から、本来の発音が日本語として自然に感じられる音(おん)へと変化していった
(p30)少し時代がさがると、和語をあらわすのに、日本独自の漢字(=国字)が作りだされるようになった
(p31)中国では、六書(りくしょ)と呼ばれる造字方法のうち、漢語の発音を旁(つくり)によって表す形声の方法が九割を占めるに至った。
このように形声文字が量産された理由は、部首を付加する構造とすることで、漢字の用途が細分されるだけではなく、漢字に対して字音の表示を求める中国の人の意識が形声の方法を好むことにつながった
(p32)これに対いて日本では、
漢語とは音節に類似性の少ない固有語を、字訓として漢字に積極的に当てていこうという意識が醸成され、
その結果、漢字に対して音よりも字義を重んじるようになった。
例えば、形声文字の「涙」に比べてかいい文字の「泪」の方により情緒を感じて好んで用い、さらに、形声文字
「鷸」(イツ しぎ)よりも田にいる鳥だから「鴫」(しぎ)の方がふさわしいと感じるというように、国字として会意文字を自ら作り出していった
(p42)欧米では、専門語はラテン語だけでなくギリシア語由来のものが多く、普段使われている言葉との間には大きな隔たりがある。
これに対し日本では、構成する漢字から、ある程度、意味の類推ができる
(p44)混種語:漢語と和語など出自が異なる語同士が合わさってできたもの。例 羆(ひぐま)
(p45)聖徳 太子が手に持つ「笏」(シャク):支笏湖の「コツ」と同じだった⇒骨(コツ)と同じなので、言い換えられた=「故実読み」
(p47)「肉」はふつう音読みである「ニク」が使われている。もともとの和語である「しし」を駆逐したものである。「いのしし」も、もとは「猪(い)のしし(肉)」という意味であった。今では、「しし」は「宍戸」、「宍道湖」など固有名いの中で化石のように残っているだけである。(宍」は六朝時代に「肉」を書きやすくするために変形させたもの)
(p49)音なの訓なのか??「タバコ」 「カン」「寺」・・・?
鉢=ハチ、
葡萄=ブドウなどは、中国語にとっての外来語に由来する
餃子(ギョウザ)、炒飯(チャーハン]などは比較的最近生まれた
(石偏に縦に人工・・人工石)
(p53)フランス⇒仏蘭西と表記・・・蕎麦屋の擬古的な暖簾のように、古い伝統を保持する老舗らしい印象・・表記が雰囲気づくりに役立つ
音訳、意訳
(p56)たまたま発音が一致することがある (「死」「架」など)
和語の「所以」と漢語の
「由縁」
「可愛」
人名の「介」(すけ)と介護の「介」は同じ字であるのに、字体を分けて覚えている人がときどきいる。「示差特徴」と呼ばれるものが心の中に生じてしまった結果
(p58)観世音菩薩の住むポータラカ山(サンスクリット梵語)⇒漢訳 補陀洛(ふだらく)山 ⇒「ふたら」と発音が変わる⇒「ニ荒」と漢字で書かれる(当て字)⇒「ニコウ」と音読みされる ⇒(佳字の)「日光」となる ⇒江戸時代の漢学者が一時に詰めて「晃」山に(六転) ・・箔がつくような感じ
(p60)時=とき(訓)⇒と+計=ケイ(音)・・江戸時代にできた当て字
中国『周礼』では「土圭」
(p63)一般的に中国では時計は「鐘」(ジョン)とよばれ、小さいものは「表」(ビアオ)という
(p69)平安時代:男手、女手、しばらくの間、性差が維持された。
位相:文字や言葉に、集団や場面によって差(変異)が生じること。⇒日本の文字の多様性は、システムとしての複雑さと、多用な位相とが複合していることによる
(p72)
平成の大合併・・1999年3月末3232市町村⇒2006年3月末1821
表記のゆれ・・
町・・まち320、チョウ524、村・・むら168、ソン28
(p74) 苗字研究家丹羽基二氏・・漢字と読みに関連性を見出しがたいものがある
(p75)※・山女を縦書きしたものの合字
「山女」(あけび)(ヤマメ)
滋賀県※(あけん)原という地名・・
「妛」は戦後の国土地理協会の資料ミスででき、JIS第2水準に採用されてしまった
(もともとは無い線が入った)
(p77)「番」から(線が消える⇒「[米十](辞書で古字とされるがそうではない)
(p81)「再読文字」「未」など二回も読まれるものと「置き字」(よまれないもの)
「終焉」の焉、「形而上学」の而
「故実読み」百人一首(ひゃくにんしゅ)
読まない漢字風邪(かぜ)、二十歳(はたち)、薫子(かおる)、
和泉(いずみ)市、・・大和(やまと)
表音文字の「黙字」・・ドイツ語Knecht(クネヒト)⇒英語knight(ナイト)のK・・(英語の綴りの不規則性は世界屈指)
(p84)多音節・・承(うけたまわ)る、詔(みことのり)、政(まつりごと)・・・
(p87)一音節⇒長音節化する傾向・・
「二・二六事件」(ニイ・ニイ・ロク・ジケン)
和語の数詞
1 hi 2 hu
3 mi 6 mu
4 yo 8ya
(p90)アラビア数字は、世界的に通用する数少ない文字
世界中の言語で訓読みされている表意文字と言える
アラビア文字使用圏では使用されていない=ローマ字に合うように変えられる前の字形を保持している
(p91)廿(ネン にじゅう)=十を二つ並べたもの 大字(だいじ=壱、弐、参・・・・・)では「念」
(p92)「02娘01」(にこいち)(二人で一つ)
(p96)規模の小さい訓読みの例
「etc.」を「and so on」などとよむ場合、
ギリシア語起源を含む「Xmas」を「クリスマス」と発音する
1st,2nd,3rd
(p99)紀元前3200年頃、世界で初めて文字が生み出された。 系統不明のシュメール人⇒言語系統の異なる、アッカド人、ヒッタイト人へ・・
既存の楔形文字を、それぞれの言語で読んだ=訓読に相当する方法を発明⇒しかし死字と化した(古代文字として名を残すにとどまった)
それに対して漢字は姿と働きを変えながら、いまなお使われ続けている
「意識」すると分かる訓読みの面白さ・・一応ここまでとします。
以下の4~6章は、「戦く」から「お腹」「凹む」、「GW」や、絵文字まで全て「訓読み」が可能な幅広い訓読みの世界を具体例とともに見てゆき、日本語の面白さを「再発見」する・・・ということで、具体例満載・・
2014年09月06日 現在
「卵」の生物としての生々しさ⇒「玉子」
蛙などの卵の象形字、中国では食用の卵には、蛋白質の「蛋」の字を使う。未だ成らない肉と一字にまとめた地域文字もある。(p172)
「風邪」の「邪」、「和泉」の「和」は何と読む?・・意味だけを表す黙字のようなものとなった(p174)
「はじめ」のジレンマ(初め、始める)
「ゲッキョク」駐車場(極=き(わ)める)
(p193) (例)大漢和事典の最初の一
平安時代の漢和辞書「類聚名義抄」などでも一字に何十もの訓がカタカナで付される例が珍しくない。しかし社会的な定着を見たとは思わない。文脈の中で生じたその場限りに臨時性の高いものも含まれている。
二〇〇種類を超える「生」 、扉を「叩(ノッ)く」する 、絵文字も訓読みできる 、「お腹が凹(へこ)む」「凸(デコ)メール」(出ている方がデコ) 「_皿_皿_皿_」と書いてなんて読むのか? //「回転寿司」(皿の上にのるもの⇒血)
(p216)ありふれた漢字に対して、意外な訓読みが与えられていることがある。・・「おののく、そよぐ」
(p217)「ちびる」という訓読みが 漢和辞典にはなかなか載せてもらえない・・字義が存在するにもかかわらず、定着してない
(p226)「私」の訓は「わたくし」のみ
(p238)名前に用いられる漢字の習慣的な読み方
(p246) 日本人の姓(名字、苗字)は、その種類の豊富さで、多くの移民によって構成されているアメリカに次ぐレベル言われる。アメリカ、中国、韓国などでは、国家が姓の総数とそれぞれの人口を把握して公表している。
(p252)中国にない国字「蛯」はどうよまれるか。モデルの蛯原友里・・蝦(シア)の発音で読むことがある
(p264)漢字そのものが日常から消えつつある
(p271)訓読みが、日本語の表記システムを複雑なものにしているという面は否定できない。一方で、その運用にも自由度が高いことが日本語表記の多様性を世界随一のものにしている。普段、特に意識することもなく訓読みを使いこなしているのであれば、こうしたことを思い返し、漢字による表現の世界を改めて振り返るのもよいだろう。
googleブックのプレビュー(新編集の2014年刊角川ソフィア文庫の方)
by nekoatama