neko_atama_byM's Archive
種子島の広田遺跡から
「山」という漢字とも文様とも見える貝符が一点出土
鈴木晴彦氏は、「弥生時代中後期とする説と7世紀以後に下るとする説がある」と「字」とみ
なしている。
国分直一氏も「山」とみなしているが、
中園聡氏は文字ではないと述べている。
photo:by http://pub.ne.jp/kaneurikichiji/?entry_id=3399824
種子島・広田遺跡出土の貝符(重要文化財)
広田遺跡は、鹿児島県種子島の南種子町にある 弥生時代後期後半から古墳時代併行期(3世紀から7世紀頃)にかけての集団墓地です
発掘調査は,昭和32年に第一次調査を盛園尚孝・国分直一氏が中心となって行い
Photo :南種子島町HPより引用
国重要文化財 広田遺跡出土品(南種子町所有)「
これらは、貝符・貝輪・竜佩形貝垂飾等と呼ばれる貝製品で、1700年前の広田人が身につけていたアクセサリーです。」http://www.town.minamitane.kagoshima.jp/bunkazai/hirotaiseki_chousa.html
アクセサリーに文字を書くだろうか?
阿辻哲次氏は「山」を文字とみて、「仙」の意味だろうとする。
仙人になることを願って・・という?・・
いつも身につけていた物をつけている死者とすると、違うような気がしますが・・
photo by http://inoues.net/study/kanaseki.html
総数4400個のなかで、
一点しかないというのも、文字説に不利のようです
日本人が作った漢詩の中には平仄が合っていても 中国語での声調まで意識していないものもあるため、 中国語で吟じられた場合には優れた漢詩とされにくい場合がある。 しかし、漱石の漢詩は中国語で吟じられても美しいとされる