フィレンツェの画家といったら、まず、ボッティチェリではないか・・と思う。
ボッティチェリのヴィーナスこそは、このサイトの表紙にも持ってきているが、フィレンツェの、イタリアの顔だろう。しかし、ウフィツィ美術館の中庭に並ぶ壁龕には、ルネサンス時代フィレンツェで活躍した芸術家の肖像が収められているが、ボッティチェリの肖像は見当たらない。
・・(その件はこちらに書きました。2012年11月)
ゲーテの『イタリア紀行』(1786-1788)にもボッティチェリの名は全く出ていなかったようである…‥(再確認してないが)
その理由のひとつは、
ボッティチェリの2大名作は、メディチ家の別荘カステッロに秘蔵されていて、一般には見られず、ウッフィッツィ(事務局の意)に移されたのは1815年以降であったという。
ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511年7月30日 - 1574年6月27日)wikipedia
※“Le Vite." 1550年初版全文 (イタリア語)http://bepi1949.altervista.org/vasari/vasari00.htm
「ルネサンス期のフィレンツェから卓越した画家や彫刻家が集中的に出現した理由」
1.凡庸な作品に満足しない・・人々の喧しい批判の習慣
2.完璧な腕を競いあう勤勉さ
3.栄光と名誉への激しい願望
(ヴァザーリの分析)
サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli, 1445年3月1日? - 1510年5月17日)Wikipedia)
和辻哲郎は、1928年の3月15日から半月ばかりフィレンツェにあって、ルネサンスの絵を見て回ったようであるが、「ボッティチェリの作では、やはり『ヴィナスの誕生』が一番いい」「西洋のあらゆる画家のうちで、ボッティチェリほど巧みに線を駆使したものはいない」といいつつ、「写真で見て想像していたほうが良かった。」なんていっている。色彩が暗くて、「草花も画面を埋めるためのほんの添え物にすぎない」などと言っている。(古寺巡礼)
一方、辻邦生は、1989年の夏の日曜日、ウフィツィの三階に駆け登って、「見たとたん僕は足がすくんでしまった。これがあの『ヴィーナスの誕生』なのか?それは洗浄したというから、表面のゴミを特殊な溶液で拭ったのだろうと思っていた」。しかしそんな程度ではなかった、修理者の手で金色が全て新たに塗られているのだ。金キラキンだ、あの落ち着いた色調を知っている身には、なんとも困惑した思いが立ち上ってくる、と言っている。
「ボティチェルリの絵には、線が薄れて見えなくなっても、ボティチェルリ以外の人間が手を加えるなどということは許されてはならないはずだ」と、「これくらいの不満は、愛するサンドロのために、書いていいだろう」と。
これについてどう感じるかはその時の自分に任せる(笑)
(辻邦生は、メディチのリカルディ屋敷のフィレンツェ的性格=民主的商人の性格:権威誇示的な装飾もなく、実用性が強く、他者への不信と用心深さが露骨、という話もしている。
メディチ リッカルディ宮Palazzo Medici-Riccardi(4トラベル)
なお、辻邦生は 何より、「中部イタリアは,一度迷い込んだら再び現実に戻れぬ美の迷路に似ている」という・・
ラファエロ・サンティ( Raffaello Santi、 1483年4月6日 - 1520年4月6日)Wikipedia
イタリア・ルネサンス三大巨匠と言うのは、ラファエロ・サンティの他に、ヴィンチ村のレオナルドさんと英語でいったらマイケルさんであるか…‥
レオナルド・ダ・ヴィンチ ( Leonardo da Vinc)1452年4月15日 - 1519年5月2日 Wikipedia
この「万能人 (uomo universale)」について、特に今言うことはないデス^^;
(サンタ・クローチェ教会(Basilica di Santa Croce)に墓参りモード)
ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo Buonarroti、1475年3月6日 - 1564年2月18日)Wikipedia
「ミケランジェロの彫刻で最も有名と思われる『ピエタ』(1498年 - 1499年、サン・ピエトロ大聖堂)と『ダヴィデ像』(1504年、アカデミア美術館)は、どちらもミケランジェロが20歳代のときの作品である。」・・そうでしたね・・
カーサ・ブオナローティというのが有るようだ。
NHK日曜美術館(日美旅)(第25回)
https://redrb.heteml.jp/naganoart/nagano_art_136.html
アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto, 1486年7月16日 - 1531年1月21日)Wikipedia「アンドレア・デル・サルト」は「仕立て屋のアンドレア」の意
アンドレア・デル・サルトというのは、私は夏目漱石の猫に出てくる名前として覚えた ~~ ちょっとおまけ~~
以下、ヤマザキマリさん(笑)
ラファエロは「いい人過ぎて早死に」!?
ミケランジェロは「筋肉フェチの完璧主義者」!?
ダ・ヴィンチは「人嫌いの万能人」!?
マリさんは、ボッティチェリに『輪郭線を描いた画家」とし、
ヴァザーリの記述も、そっけないほど手短で、
ポッティチェリが有名になったのは、19世紀に「ラファエル前派」と呼ばれる人たちが登場し、積極的な再評価を行った結果です、という。(p48-49)
ボッティチェリは、今にも泣きそうな憂い顔の乙女を描くのがうまかった人・・とも。
『イタリアとドイツ的形式感情 』(ヴェルフリン 1931)の二項対立
美術史家Heinrich Wölfflin, 1864- 1945) Wikipedia
イタリア性(イタリアニタ)
・・明瞭性(不明瞭性)、合理性(非合理性)、分節性(無限性)、単純(複雑)、調和(歪形)、優美(厳格)、軽快(重厚)
ヴェルフリンの
古典主義 - バロックの対比(5つの表現形式)・・
線的なもの - 絵画的なもの、
平面 - 深奥、
閉られた形式 - 開かれた形式、
多数性 - 統一性、
明瞭性 - 不明瞭性
イタリアの古典主義は、その内側に生粋のラテン人の強烈な生命の脈動をたたえており、
逆説的にも、「古典的なもの」と対立する「バロック的なもの」―あふれるような感情表出と熱い官能、饒舌な身振りと劇的な運動、ファンタジーやカプリッチョ(奇想)―といきいきとせめぎ合っている
18世紀以降、イタリア美術は、ヴェネツィアなど一部の都市を除いて衰退し、イタリアは、古代やルネサンスという過去の芸術遺産を豊かに蓄えた「博物館」「美の巡礼地」と化した(森田義之『イタリアを知るための62章』2013)
ヴァザーリの「ルネサンス彫刻家建築家列伝」(森田義之監訳 白水社1986刊 13世紀後半から16世紀前半までのイタリアの代表的な彫刻家と建築家)の巻末の用語解説を見て、ローマ建築に特徴的なものと感じられたものを2、3挙げておきます。
円蓋、クーポラcupola、ドーム、丸屋根
ローマ建築(パンテオンなど)以来、長い伝統を持ち、、ルネサンス期には、ブルネルレス期設計によるフィレンツェ大聖堂やミケランジェロ設計に由るサン・ピエトロ大聖堂の円蓋のように、盛んに用いられた。
壁龕、ニッキア(nicchia)、
建物の壁面や柱に設けられた凹部で。普通その中に映像を収める。
タベルナーコロtabernacolo 聖龕
聖体を治めるための容器や祭壇。15、16世紀には、ニッキア(壁龕)やキボリウム(独立聖 龕)と同義に
ルスティカ
石積み壁面の仕上げ方法の一つ。石の表面を荒削りのままにして積み、壁面に力強さと要塞風の威厳を与えようとする意匠。
特にルネサンス期のパラッツォの外装に好んで用いられた
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