やっぱり、旅は街歩き風なのがよくて、
ティベレ川沿いをゆっくり歩きたいと思っている。(サンタンジェロ橋から壊れた橋まで。)
・7つの丘から古代ローマを思い浮かべる
・キーツ(とシェリー)の墓参りをする
・サンタ・サヴィーナ聖堂の扉で辻佐保子さんを偲ぶ(!?)
・ヴァティカン美術館で皇女コンスタンティナの棺を見る
・ローマ国立博物館(マッシモ宮)で古代彫刻のコレクションを見る
・ヴィラ・ジュリア国立博物館(エトルスコ博物館)で古代エトルリア彫刻を見る
・アラ・パチスの平和(アウグストゥス)の祭壇を見る
・ローマ植物園やイタリア庭園を見る
・円柱、人像柱、回廊を見る
学(美術史)としてではないが、美的研究として、博物的図像探検的に見てきた事があった(唐草図鑑)。その中で、ローマの旅で見たいものをリストアップしてみます。
ラファエロの墓もあるパンテオン(万神殿)
この天井の穴は・・オクルス(oculus, ラテン語で「目」の意)
雨のときはどうなるのでしょう…‥
※http://www.karakusamon.com/order_roma.html
このアーチはすごい。
Che bello!
オーダーを4段に重ねた:
下からドリス式、イオニア式、コリント式の半円柱、コリント式のピラスター
コロッセオの参考にしたという「マルケッルス劇場」(byカエサル)もみたい
ここで、円柱の下に何か加わった、
それが問題だ。ローマ建築に現れた重大な要素:
柱台(ペデスタル)
ローマのボルゲーゼ公園の北にある National Etruscan Museum(ヴィラ・ジュリア国立博物館)蔵
ヴァチカンには、なおまたその後のローマ帝国のいろいろな石棺あり。
※
http://www.karakusamon.com/2015k/sarcophagus.html
コンスタンティヌス帝の娘ということで、ついコンスタンツァといってしまう・・
右の石棺の英文説明は:Sarcophagus of Constantina (daughter of emperor Constaninus I, also known as Saint Constance), sculpted around 340 AD. Formerly in the Mausoleo di Santa Costanza in Rome it is now on display at the Museo Pio-Clementino in the Vatican City.
→サンタ・コスタンツァに有るコンスタンティナの棺とあり。
こちらのサイトに、コンスタンティアはイタリア語ではコスタンツァとあり、なるほど。
http://www.japanitalytravel.com/こちらのサイトでは逆に、コスタンティヌス大帝とあって、それはなかなか違う(笑)※
ちなみにこの色は、皇帝の紫は関係ない?
※棺の美術史(棺の概観)のあたりにまとめてあるが、
http://www.karakusamon.com/2015k/sarcofago_etrusco.html:「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群
」へは割愛
サンタ・コスタンツァ廟は「現存最古のキリスト教建築」
ついでに、近くの壁画のあるカタコンベにも行きたい。
全長7キロメートルだそう。ガイドはいらないが、じっくり見ると5時間
毎月最終日曜日は入場無料だそう。(もう一回行く?・・無理そう)
これを見ていた時、ジラーレというのが、普通の、回るといった意味の日常語であることを知らなかった‥
37歳のゲーテは、1786年9月から1788年4月、約2年にわたりイタリアへ、1816-17、29年後に旅行記としてまとめた。
ゲーテの「イタリア紀行」を読むページは別にこちらに。
「君よ知るや南の国」!
(1786年11月28日 システィナ礼拝堂)「ぼくはすっかりミケランジェロに心を奪われ、彼を見た後では自然さえも味わいを持たないほどだった。(中略) ぼくらはそこからラファエロの歩廊(ロージエ)へ行ったが、これは見るべきではなかったといえるだろう。、絵が、先の絵の偉大な形姿と、あらゆる部分にわたる見事な感性によって拡大され慣らされているために、アラベスクの才気にあふれた戯れをみるのに適応できないのだ。」
『ヨーロッパ名橋巡礼』(平沢一郎著)にもあり。
その著に
建築史家の田中充子著『プラハを歩く』(岩波新書)の引用で、
ローマで広場とは 「彫刻に囲まれた空間」をいう。彫刻に囲まれない空間は広場ではなかった。建物で囲まれた空間は、建物の屋根や壁面に飾られた彫刻によって広場となった。その場合も、彫刻は建物に付随しているのではない。彫刻が主役である。そう考えると、サンタンジェロ橋の彫刻群は、橋の上に広場を作った、といえるのである
上の引用はとても良かったが、ポンテ・ヴェッキオの説明では、フィレンツェについて、・・古来、ゲーテを始めとする多くの「イタリア狂」をうんできたヨーロッパえりすぐりの恵まれた土地柄である・・というのはどうだろう。
ゲーテは「イタリア紀行」でこのフィレンツェには逗留せず、3時間で駆け抜けた(主としてボーボリ庭園を見た)というのが、疑問で、ゲーテとフィレンツェという土地を関連付けるのはちょっと違うように思ったのだ。
どうして滞在しなかったのだろう、紀行にない帰り道では滞在したのだろうか・・と疑問だったが、牧野宣彦さん著「ゲーテ『イタリア紀行』を旅する」には帰りの日程表もあって、そこに、フィレンツェにも1788年4月22日から5月11日までの三週間ほど滞在したとあって、ホッと(?)した・・
ゲーテの息子には興味はないが、前掲の牧野宣彦さん著「ゲーテ『イタリア紀行』を旅する」に、ケスティウスのプラミッドを好んだという話が。そしてその隣の墓地(Chimitero degli Inglesi)にシェリーとキーツの墓参りに行きますが、ゲーテの息子の墓も有るという。
ラヴェンナのモザイクを見たいですが、
辻佐保子さんに敬意を表しにサンタ・サビーナ聖堂にも木の扉を見に行きたい
http://www.karakusamon.com/2015k/Santa_Sabina.html
「建築はその場所に身を置かねばならない芸術である」・・⇒建築芸術
副題の「建築と美術と文学と」・・まさにROMAは私にもそれですね。
グルメじゃない円柱フェチ。
ウィトルウィウスやパッラディーオ!
・・でもワインは飲みたい?オードリー・ヘップバーンも好き!・・
この人魚(?)というのも興味深い。ライオン2頭といる女性像というとそれは女神なのであるけれど・・・コロンナ家の紋章にも関係ある?・・いやオルシーニ家の庭園であったというが
マリオ・プラーツ(Mario Praz、1896-1982)も1949年の10月に訪れ、「ローマ100景」にあげている。[オルシーニ家を表す、ボマルツォの藪の中の何頭もの熊(オルシ)は胸に紋章のバラを抱きしめている」⇒イタリア庭園
※マリオ・プラ-ツの家も美術館になっているそうだから、いかねば・・Museo Mario Praz - Palazzo Primoli
モデナ大聖堂の「ピープルドスクロール」
旅のテーマは、
一言で言うとなんだろうか。
マリオ・プラーツの
「建築と美術と文学と」というのもいいが、
円柱フェチの旅
唐草の旅
人文主義の旅
イタリア庭園の旅
ローマの松の旅
ダンテの墓にも行きたいので、
墓参の旅?
例の「ライオンを見に行く」(=観光に行く)で、
「ローマにライオンを見に行く」?
http://www.karakusamon.com/2014k/modena.html
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