漢字暦

白川静漢字暦 (2014年)


さいわい

 

幸・福・慶・祉・休・和


ニ月の字は、「さいわい」

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2014年2月の字は「さいわい」の訓のある字6つ学びます。(引用は平凡社の漢字暦、また、白川静著作他) ・・ 

更新日2014年3月1日(土)


==以下引用(漢字暦)===========

「福」の声符は畐(ふく)。
畐は器腹のゆたかな酒樽などの器の形。
示は祭卓のかたちで、
神前に酒樽を供えて祭り、幸いを求めることを福という。


 

==以下引用===========

「幸]の甲骨文・金文は両手にはめる刑罰の具である手枷の形。
幸はおそらく倖(さいわい)の意であろう。手枷だけの刑罰で済むのは、僥倖(思いがけのない幸せ)であり、重い刑罰を免れると言うので幸というのであろう


以上は漢字暦より。この解釈には驚いた(・・;)
以下に[字統]より引用

==以下引用===========

象形。手械(てかせ)の形。
〔説文〕十下に「吉にして凶を免るなり」とし、 字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従う会意字とする。
屰に従うて その逆であるから、夭死を免れる意の会意とするのであるがこのように、否定の意を加えた会意という造字法はなく、字は明らかに手械の象。罪人を執(とら)えることを、報復刑を加えることをという。また幸声に従うものに倖・婞の字があるが、いずれも幸福の儀に遠い字で、倖は「もとる」、婞にも「もとる」意があり、従順でないことをいう。
幸はもと僥倖の意に用い、〔荀子、王制〕「朝に幸位無く、民に幸生なし」とは僥倖をもってことを望みがたい意。のち天子のことに用いることが多く、行幸、侍幸、幸愛という。

行幸(みゆき・・天皇の外出)、侍幸、幸愛
(新明解 第6版)幸:よい ついで、かわいがる、天皇のおでまし
==以下引用(〔字訓〕) ===========
さち(幸・獲):漁労による獲物を「さち」という。下に名詞が連なるときは「さつ」の形をとる。狩猟に関係のある語で、「さち」は一種の外来魂、「さちのたま」という。その霊の威力によって海幸・山幸が得られると考えられていた。一般的な幸の意は、後の転羲である。(p365)
さく(幸・福):しあわせであることをいう。「さきく」は副詞形。その形のままで用いられ、形容詞の形に展開することはなかった。
「さきはふ」(四段)は豊かに栄えることで、動詞形。その名詞計は「さきはひ」。
「咲く」「榮ゆ」「盛り」と同根である。
旅に出る時などに、「ま幸(さき)く」のように無事を祈る語に用いた。(p356)
くし(奇):可は(サイ(さい)に大きな枝、柯枝(かし)を加えて呵責し、神の応諾を求める意で、奇は尋常の祈り方でないことを示すものであろう。 「くし」も生命力に関して用いる。「幸(さき)」と「奇(くし)」と相対する語である。(p291)

※呵責=サイを木の枝で叩いて、祈りごとを実現すべし、と神を責める・・「呪能を刺激する」

奇:キ・ギ、 かたがわ・あやしい・すぐれる (〔字統〕p147)
会意  ■(き 奇から口をのぞいた部分)は把手(とって)のある大きな曲刀。この曲刀をもって 、祝禱(しゅくとう)の成就を責め求める意。可と字の立意が同じ。
奇は奇劂(きけつ=彫刻刀)の剞(き、きざむ)初文とみてよい。
〔説文〕五上に、「異なり」と訓し、「一に曰く、 耦(ぐう偶)あらざるなり。大に従い、可に従う」とするが、字は大と可とに分かつべきものではない。

くし(奇・霊)(〔字訓〕p290)
人智ではかり知りがたいこと。また「くすし」ともいう。「くしぶ」(上二段)は「くし」の動詞形。



 

==以下引用(漢字暦2014)===========

「慶」は廌(たい)と心とに従う。
古く裁判は、争う双方から解廌(羊に似た神聖な獣)を差し出して行われたが、
その神判に勝訴を得たものの解廌の胸部に心字形の文飾を施し、その吉慶のしるしとした。
慶はのち、すべての幸慶・福善のことに用いる。

慶(よろこぶ)


2012年1月の漢字暦
「よろこぶ」という訓のある字
から再掲

==以下引用===========
「慶」は 解廌(かいたい)と呼ばれる、神判に用いる神羊と
その胸部に心字形の文様を加えた字。
審判の際、勝者の解廌には、胸に心字形の文様を加え、 吉慶のしるしとした。
慶は神判による勝訴、ゆえに吉慶の意となり、
神の恩寵・恵福を意味する。

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==以下引用===========

「祉」の声符は止。 〔説文〕一上に「祉は福なり」とあり、併せて福祉(幸福。さいわい)という。 〔詩経、大雅、皇矣(こうい)〕に
「既に帝の祉(さいわい)を受く」と見え、神より与えられるものをいう。



==以下引用===========

「休」は人と木に従う。
木は古い字形では禾(か)の形で、禾は横木のついている柱。
軍営の門の両脇に軍門の標木としての儀をたて、両禾軍門といわれた。
そこで軍事的な誓いや平和交渉なども行なわれ、禾の前で講和することを和という。
戦争で手柄を立てた人を表彰することを休といい、休は「さいわい、よい、めでたい、よろこび」というのがもとの意であった。

==以上引用==========

この解釈には驚きました。 念のため、 以下に[字統]より引用

==以下引用〔字統〕==========

会意。人と木に従う。
〔説文〕六上に「息止するなり。人の木に依るに従う」とするのは全く字形に合わない。 休息の儀は、休の字義としては最も後起の義で、郭沫若 は休が禾の字形に従うことから、作戦中には禾上を避けずに休息すると説いたが、禾が軍門の象であることは、和・・歷(歴)・暦などの形義から見ても明らかである。 


==以下引用〔字統〕===========

会意。禾と口とに従う。口はサイ 盟誓の書である最初といわれる文書を治める器の形。  軍門の前で盟誓し、和議を行う意である。故に和平の意となる。
〔説文〕一条に「相応ふなり」(段注本)と応和、相和する意と解し、また字を禾声とするが、相和する字は であり、和は軍門媾和を原義とする字である。

更新日2014年 3月19日(水)

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