漢字暦

白川静漢字暦 (2014年)


あきらか

 

明・星・晶・晃・顕(顯)・彪・彰


一月の字は、「あきらか」

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2014年1月の字は「あきらか」の訓のある字を7つ学びます。(引用は平凡社の漢字暦、また、白川静著作他) ・・ 

更新日2014年2月5日(水)


明(朙)

===以下引用==(白川静漢字暦2014)===


 「明」のもとの字は「朙(めい)」に作り、
「囧」(けい)と月とを組み合わせた形。
囧は窓の形。
窓から月光が入りこむ意。
そこは神を迎えて祀るところであるから、
神のことを神明という。 

明とは神明の意である。
葬器を明器といい、神水を明水というのもその意。
古く黄土地帯の住居は、
中央に方坑を掘り、その四方に横穴式の居室を作る。
全体が亞(亜)字形をなし、 中央の方坑に面するところのみ光が入るところで、 すなわち明堂であった。
その方坑に面したところいん神を迎えて祀るので、
明は
囧(けい)と月とに従う。
故に 神事を明といい、聖職者を明公・明保と呼ぶ。
周初の周公は金文に明公とよばれ、その子は明保と称しており、 いずれも最高の聖職者を意味する称号である。
漢代の明堂は、その遺址と考えられる遺構によって復元すると、 中央に堂があり、四方に室が旁出(ぼうしゅつ)する形となっている、
それはかっての地下式のものを、地上に移した形式であると考えられる。

(『字統』p848)

普通の辞書では、「日と月が両方あって明るい」という、アカルイ話。(笑)

晶という甲骨文

===以下引用==(白川静漢字暦2014)===


「晶」 は星の光の形。
三星を以てその晶光を示す。
昔の夜空の星は、明るかったのであろう。
星の甲骨文・金文は晶に従う形である。  
説文に「精光なり。三日に従う」とするが、
三日(三つの太陽)が並んで出るはずはない。
日はこの字の場合は太陽の形でなく、星の形である。
晶光は水晶のような熱のない光を意味
し、晶は星の光をいう。
星の古い字形の上部は晶に従う。
卜辞に「新大星ありて、火(火星)と並びたりとあって、 殷の時代にも天文の観測がおこなわれ、新星の出現が記されている。
星の観測は、占星的な目的で行われていた。 

(『字統』p460)


星という金文
声符は生(せい)
正字は晶に従い、■(せい・・上が晶その下に生)に作る。 説文に「萬物の精、上りて列星と為る」という。
晶は星の光の形で、星はもと星の光の輝くことをいう。
卜文に晶を星の字に用い、ときに生声を加えているものがある。
星象の名は、歳星(木星)の知識とともに西方の天文学によってもたらされたもので、古くは占星の術に用いられた。
のち[周礼(しゅらい)、秋官、■蔟(てきぞく)氏]が、二十八星の号を掌(つかさど)ったが、 占星の術はその後も久しく行われ、多く祥瑞(しょうずい)に関するものとして正史に記録されている。

(『字統』p512)

■てき・・《哲の口の部分が石》 

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篆文の晃の字

==以下引用===========

会意。日と光とに従う。 [説門]7上に、「明らかなり」とあり、日光の光耀ある様をいう。日光の専字として作られたもので、晃耀(こうよう)・晃朗のように用いる。光の限りなく輝く様を晃晃といい、また晃蕩(こうとう)という。 日光を合わせた字であるから、日光山を晃山(こうざん)ともいう。字はもと篆文のように、偏旁の形に作る。

(『字統』)


顕(顯)


==以下引用===========

旧字は顯に作り、※《日の下に絲》(けん)と頁(けつ)とに従う。

■(けん)は説文7上に「日中に絲(し)を視(み)るに従う。古文以て件の顯と為す」と見えて、 顕の初文ともされる字であり、それに対して、 顯は礼拝する人を示す頁を加えた字である。
■《日の下に絲》の字形を〔説文〕は日に従うものとするが、日の部分は珠玉の形。その下に白香(しらか※)のように糸飾りをに糸をつけ、これを拝して神霊を招くので、、■(けん)は神降ろしの呪儀に飾るもの、顕はその呪儀を行うことをいう。

(『字統』p276)

※麻やコウゾの類を細かに裂いて白髪のようにして束ねたもの。神事に用いた。

彪(ヒュウ まだら あやあきらか)
==以下引用===========

虎(こ)と彡(さん)に従う。彡は色彩・形相の美しいことを表す記号的な文字で、彪とは虎文(こもん)の美をいう。 〔説文〕五上に、「虎文なり。虎に従う。彡はその文を象るなり」とある。
きらびやかで美しいことを彪炳(ひゅうへい)、あやのあるさまを彪蔚(ひゅううつ)という。

==以下引用===========

章と彡(さん)とに従う。章は文身を加える辛(針)の針先の部分に、墨だまりのある形。 それに文彩のあることを示す記号的な文字の彡を加えて、文彩の彰明であることを示す字である。 〔説文〕は章を楽章の終わる意とし、竟(きょう)の字形との関連を考えようとしているが、 竟は音に従う字、章は辛に従う字であって、字の形義が異なる。
文身は通過儀礼として、身体装飾的に行われるものであり、文系統のものは、丹朱などの色彩を施す、 絵身(かいしん)の方法、章系統のものは、入墨の針によって色素を注入すり永久的なものであった。
南方の諸島や太平洋沿海諸族の間には、近年に至るまでその俗を伝えるものがあって、満身の文飾を誇った。 それが彣彰の本来の姿であった。 文身関係の文字が多いことから見て、中国の古代にも文身の俗があったことは疑いない。

(『字統』p464)


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