Italy Roman

20170608

ボローニャ
ボローニャ市立博物館

ボローニャ大学

アルキジナジオ館[Archiginnasio](=ボローニャ大学の古典的名称)

解剖室[Teatro Anatomico]

いきなり解剖室写真から。いや、ここに入るにはいろいろ手続きがありましたが・・


”死体解剖による「解剖学教室」は、1637年に建築家アントニオ・シヴァンティの設計によって完成された。
床壁天井とも木で仕上げられたこの大教室の壁面には、古代の有名な医者立像やボローニャ大学の最も著名な医学者の胸像が飾られ、また天井画にはアポロ神を擁した星座が表現されている。・・”と、解剖台の向こうに座った、写真の方も、ここに置かれたラミネート説明を読んでいるようです‥⁉


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ラミネートの説明(日本語版)クリックで拡大

「ボローニャ大学の最初の大学棟となったアルキジンナジオ館はそれまでさまざまな建物に分散されていた法学部(民事法、教会法学)と学芸学部(医学、数学、物理学、自然科学)とを一つの建物内に統合することを目的として、1563年に建設された。」と書かれています。wikipediaの解説もこれの引用のようです。(閲覧20210224)

「建物はボローニャ出身の建築家アントニオ・モランディの設計でかなり短期間で完成した。」

「アルキジンナジオ館は、30ものアーチと石製の列柱とか成る139mに及ぶポルティコを外部に持った2段様式の建物が中庭を囲う構成になり、その中庭側には10の講義室がある上階へと通ずる2つの大階段がある。」



入口から中庭を挟んだ正面奥
1階 聖マリア・ディ・ブルガリ礼拝堂
2階 解剖学教室
礼拝堂には、「16世紀の画家バルトロメオ・チェージによって描かれたフレスコ画の一部が残っている。
フレスコ画の大部分は、1944年1月29日アルキジンナジオを襲った旧アメリカ連合軍の空爆によって、失われた。」
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556‐1629)
参考:ボローニャ国立絵画館の展示作品のあるブログ


「この大教室も戦災で被害を被ったが、できる限り本来の建築部材を再利用して修復された。」

「教授が立つ教壇には天蓋がかけられ、その両脇には、「皮を剥がれた人」(✳1)といわれる2つの有名な立像が立つ。
これらの立像は1734年エルコレ・レリ(✳2)の作と記されているが、少なくとも大部分の壁面の12人の医学者の立像を制作したシルベストロ・ジャンノッティの作であるというのが事実のようである。」(前掲館内説明より)

(✳1)皮を剥がれた人(wikimedia)

Anatomical theatre of the Archiginnasio, Bologna, Italy - the teacher's chair and the Spellati (skinned)https://commons.wikimedia.org/wiki/Archiginnasio_(Bologna)

(✳2)エルコレ・レ(ッ)リ (Ercole Lelli 1702-1766)it.wikipedia
ボローニャ大学建築パラッツォ・ポレセクション人体解剖学
エルコレ・レッリによる解剖模型 ※4travel.jpにある記事

wikimedia/Category:Anatomical_theatre_of_the_Archiginnasi

天井に星座を描き、太陽をアポロ神とするというのは、17世紀においていかなる意味があったのか?
太陽神は数多くいる。その中でアポロ神を選ぶというのは、医学の神アスクレピオスがアポロの息子ということになっているからだろうか? [アポロン(ギリシア神話)→アポロ(ローマ神話)]
いや、wikipediaによれば(閲覧20210215)
「アスクレーピオスは、テッサリアのラーリッサ領主の娘コローニスとアポローンの子。アポローンとコローニスの伝令であった鴉の讒言によってアポローンは嫉妬に駆られ彼女を射殺した。しかしすぐに後悔し、彼女の胎内から取り出したアスクレーピオスをケンタウロス族の賢者ケイローンに預けた。」という話があり、
胎内から胎児を取り出すとは、解剖にも関係あるという意味からであろうか?

コトバンクでは、アスクレピオスのことも書かれているが、アポロ自身が医術を司る神であるとしている。(音楽と詩歌文芸の神、医術の神、弓術の神、予言の神、疫病の神)

井上ひさしの『ボローニャ紀行』・・「真ん中の像は、医学の考案者とされるアポロ像で、周囲は星座の文様」

星座は、当然、占星術の黄道十二宮・・・重厚な木枠の枡の中にふたご座といて座が見えた・・

構内

「アルキジンナジオ館を最も印象付け、その歴史を物語るものは、2つの大学講堂の壁面や列柱廊の壁面とヴォ―ルト天井、それに大階段などを飾る数々の装飾である。」(前掲館内説明)

「それらはこの大学で講じた歴代の講師陣の銘文、また16世紀後期から18世紀末にわたってこの大学で学んだ学生たちの名前(イタリア人学生と外国人学生の2つに分かれている)や学生組合の浮彫の紋章の装飾である。
当然ながら、銘文の長さや立派さがその教授の実際に果たした功績とは必ずしも一致するとは限らないが、それらは興味深い大学の歴史と風習の証拠だと言えるだろう。」(前掲館内説明)

「アルキジンナジオ館には、歴代教授らの銘文や記念碑、学生たちの名前や学生組合の浮彫り紋章が列柱廊の壁面に刻印されており、ヴォートル天井や講堂内の壁面天井、大階段にも所狭しとこれらの装飾が配されている。」(東京大学総合研究博物館ニュース頁

ヨーロッパ最古の総合大学 Alma mater studiorum - Università di Bologna、略号:UNIBO
ボローニャ大学公式サイトhttps://www.unibo.it/it

このおびただしい数量に驚いた・・

元法学部の講堂「スタバト・マーテルの間」Sala Stabat Mater


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図書室


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Bologna, Archiginnasio, sala Rusconi クリックで拡大

この図書室には本当に驚きました。まさに。

「1803年に大学がポッジ館に移された後は、小学校校舎として数年間使用された。
1838年以降に今日の姿である図書館施設となった。
80万部に及ぶ本や小冊子のうち、
15世紀後半に印刷されたインキュナブル2万5千冊
16世紀出版物1万5千冊、
手稿9千冊、
署名入り書簡25万点、
古文書資料200点、
4万点の版画、デッサン、写真のコレクションを所有する。」(前掲館内説明)

ポッジ館・・現在大学博物館があるザンボーニ通り33番地にあり。
Museo di palazzo Poggi wikipedia (公式サイト)


クリックで拡大(この上の写真はこの隙間から撮影したもの)

ポルティコ

2017年の旅の準備ページ(人文主義の旅)はこちらであった
私より後に行かれた方の旅行記(2018年初夏)
アーモイタリアの紹介ページもよい。
cojicoviaggio.cocolog-nifty.com/blog/
(2009)

2017年の6月の旅(5/25~6/16)

インデックス
6/4 移動日(ラヴェンナへ)
6/5 ラヴェンナ サン・ヴィターレ聖堂、ガッラ・プラキディア廟、ネオニア―二洗礼堂、 サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
6/6 ダンテの墓 サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂 移動日(ボローニャへ)
6/7 モデナ大聖堂の内部 モデナ大聖堂の外部 ガラリアエステンセ 
6/8  ボローニャ大学 ボローニャ市立博物館 移動(フィレンツェへ)
6/9  ヴェッキオ宮殿 バルディ―二庭園