蟲
訓(むし)と虫
さて、「虫」の字について。人間も虫であ
るという漢和辞典(*1)の解を見た時、人間
というものへの認識方法に、辞書を読む面白
さを一つ発見したように興奮した覚えがあり
ます。
蟲(diong)は動(dong)で、うごめくもの、
「虫は動物の総称」で、その分類は、羽、毛、
甲、鱗という、表皮・外面によって分けられ、
その他はなんという意味もないのだというか
のような分け方に、大いなるテツガク、古代
人の生命観を感じたものでした。
漢検漢字辞典にもありますが、裸虫=人間、
羽虫=鳥、甲虫(カブトムシではなくコウ
チュウ)=亀、毛虫=獣、鱗虫=魚で、白川
静によれば、「生物は鳥獣虫魚のように大ま
かに分類され、虫は気によって生ずる」もの
とされる。字訓「むし」は生(む)す、蒸
(む)すの同系の語で、「温湿の気によって
生じる」ことを意味するという。(*2)
以上を縮めると、生物はその外界と触れる
表皮によって分類され、湿り気が生物と無生
物を分かつのだ、と訳せるだろうか…。そし
て、地球上の全生物の4分の3を占める「昆虫」
が、生物の王者であるのか…?
福岡伸一さんは「人は瞬時に、生物と無生
物を見分けるけれどそれは生物の何を見てい
るのでしょうか、生命とは何か、それは自己
複製を行うシステムである、二十世紀の生命
科学が到達した答えの一つはこれだ、しかし、
それだけでは不十分だ」という。(*3)分子
生物の機械的な生命観は過去のものになり、
最も新しい生命観は「生命体のパーツ自体のダ
イナミックな流れ[時間]の中に成り立つもの」
であるらしい。認識の「浅はかさ」と書いて
「ナィーブ」と読ませるこの本の結語は、「
私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そ
して生命のありようをただ記述すること以外
に、なすすべはないのである」という言葉だっ
た。漢和辞典の虫の項で、この現代の生物学
者と同じ様に「生命の前に跪く人間」の認識
というものを感じたのであった。
参考書
*1「諸橋 大漢和」大修館書店
*2 白川 静「字統」平凡社
*3 福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書
*4 大辞林 三省堂
*5 平凡社世界大百科事典
*6 H・ビーダーマン「世界シンボル辞典」八坂書房
*7 荒俣 宏(平凡社世界大百科事典)
*8 William Wordsworth(平井正穂訳) 岩波文庫
(first updated 2008-10-25(土)2016/09/25、08/29/2019)