羊の漢字

貝と羊の中国人

 最近抜群に面白い本を読んだ。「貝と羊の中国人 (新潮新書)」(2006年6月刊)という加 藤徹さんの著書である。まさに 気鋭の学者 で、論考を楽しめた。


 中国人の国民性を表すキーワードを「貝」 と「羊」とするこの書で、字源の知識はトリ ビアだが、現代社会を反省する材料として役 立つ、漢字の祖形と中国文明の原型は同じこ ろにできたという。「漢字の字源には中国人 の三つ子の魂が込められている」

 「貝」とは、貨幣として使われた子安貝の ことで、中国人の現実主義的な側面「ホンネ 」を表し、「羊」とは祭儀のときに捧げられ る羊のことで、中国人の理想主義的でイデオ ロギーを重視する側面「タテマエ」を表す。


この二つを使い分ける中国人の祖型は、三千 年前の「殷周革命」、[殷]と[周]という 二つの民族集団がぶつかりあってできたとい う。


 人は東方系の農耕民族で、多神教的で有形 の財貨を好んだ。その気質を「貝の文化」とし、 それを滅ぼした人は西方系の遊牧民族の血を引き、 一神教で無形のイデオロギーを重んじた。その気質を 「羊の文化」として対比させている。 周のイデオロギー(「天」)を唱導した孔子は、 殷人の子孫なのであり、それは中国文化の深層を 考える上で象徴的なエピソードである、という。

 さて、「羊」という漢字についてである。 「羊」は象形文字である ということはモチロ ンだが、私は「美」という漢字は羊の大きな ものをいうという一説を鵜呑みにしていた。

 漢和辞典では、美とは羊と大との合字で、 原義は〈肥えて大きな羊〉をさし,これが〈う まい〉ことから,ひいては〈うるわしい〉 〈よい〉〈めでたい〉の意に用いられるとある。

ところが白川静によると、羊は羊の上半身を 前から見た形で、美は羊の全形だという。羊 は牛などとともに神に供える犠牲(いけにえ) として使われたり、羊神判(ようしんぱん) にも使用された。犠牲として神に供える羊に 欠陥のないことを確かめることを義という。 元は牛のいけにえを犠といった。
(白川静「常用字解」)

 羊神判が実際に行なわれていたらしいこと は、善・義・美など価値観念を含むこれらの字が、 みな羊に従う字であることからも知られる。羊は 神事に用いられることが多く、羊神判によって 祥・不祥を定めることがあった。

「美」は神に供える資格のある形の美、肉味 の美をいい、ひいては人の徳行や自然風物の 美しいことをいう。

「善」という字は、羊審判で原告被告が羊を 挟んで誓いの言葉を置く形。

「義」は、羊を我(鋸の形)=鋸で切り、い けにえにする形。

「祥」は、羊による占いで よい結果を得ること。

(白川静「字統」)


 加藤さんは、周人の[天]は羊を捧げるだ けでは不十分で、善行や儀礼など無形のよい ことを伴わねば天は嘉納してくれなかった、 義、美、善、祥、養、儀、犠、議、羨…など 無形の「よいこと」に関わる漢字に羊が含ま れるのは、イデオロギー的な至高の神「天」 を祭った周人の気質の名残である、という。 「孔子は羊の文化をリファインして[儒教]を創った。」

 西洋においてのヒツジは、鶴岡真弓さんによると 「キリスト教が生まれた近東地方の遊牧民と羊との 深い日常生活を背景として重要な意味づけがなされるようになった。」という。 (「装飾の神話学」河出書房新社2000年12月刊)


ヒツジは[未]として十二支の一つに入ってい るように、中国でも八千年以上前から飼育さ れていた。西洋においてもエジプト王の権標 の鞭と先の曲がった笏杖は羊飼いがハエを追 うのに用いた羽根ばたきと牧羊杖から発展し たものである。「イメージ・シンボル事典」ド・ フリース著から要約すると、羊は、愛情慈悲 を表す。強者にその肉を与え、弱者にその乳 を与え、こごえる者にその羊毛を与える。 生贄として捧げられるキリストともされる が、群居性、指導者への盲目的な追従も象 徴する。また旧約聖書で、遊牧民のアベルの の羊は農耕者カインに殺される。また 羊飼いは宗教上指導者のシンボルで、司教 杖も牧羊杖である。

図説 世界シンボル事典 (ハンス・ビーダー マン著)から要約すると羊は人類最古の家 畜のひとつであるが、常に羊飼いがつい て守る必要があったため、外敵に対する無力 さの象徴になった。その「無邪気さ」のゆえに あらゆる誘惑の標的となる存在とみなされた。 子羊は、羊の無邪気さをさらに強調した存在 であるが、無垢が最終的に悪魔に打ち勝つこ とを示すシンボルになった。牝羊がの好餌 となるような無害で愚鈍な動物であるのに対して、 雄羊の方は、活力、精力、確固たる決意を象徴す る。ゼウス・アメン神は雄羊の角を持つ。
 羊とは現代も映画の「羊たちの沈黙」など の題名になる強力な象徴性を失っていない。


 最後に加藤さんの本からもうひとつあげて おきたいのは、殷人は自分たちの王朝を[商] と呼んだことであり、[周]に滅ぼされると、 殷人は土地を奪われて亡国の民となり、 古代中国版ユダヤ人となった。「商人」と自 称していた殷人は各地に散った後も連絡を取り 合い、物財をやりといすることを新たな生業と したという。これが、商人・商業の語源だと いう。

またそれに関連して中国語では「どこ泊まっ ていますか」と「どこに住んでいますか」を 区別しないという。 日本の歴史の主役は[一所懸命]の定住民だ が中国の歴史は[落葉生根]の流動民の 存在を抜きに語れないのだ、 華僑の「僑」とは「仮住まい」の意で、 劉備も孔子も孫文も流浪の英雄であり、 中国人は日本人とは違う流浪のノウハウを 持っているのだということ、 これが非常に心に残った。


 以上は加藤さんのこの本のホンの初めの部分の紹介である。 前著「漢文力」(中央公論新社2004年8月刊)や、 「漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)」(2006年2月刊)も実に面白い。 また機会があったら紹介してみたい。

おまけ

羊を品という形に三つ重ねた字は

羊のニオイを表す


同様に
魚を三つ重ねると

魚のニオイ…

(^_^;;

羊、羊の象徴について


(first updated 2004/10/25)