「風」の字・文化について、その1で、白川静 〔字統〕の前書き等を見ました。
ここでは、風その2として、〔字訓〕「し」、日本語の体系・文化を見て、〔字統〕本文の「風」で締めくくりたい。
更新日 2022年10月3日(月)
※白川静(1910‐2006)(wikipedia)
〔字訓〕は日本語の語源研究の書という事だが、『白川静さんに学ぶこれが日本語』(小山鉄郎著 論創社2019)の、「あとがきに代えて」が面白い。
それによれば。日本人はあまり大きな数を数えた民族でなかったこと、倍数関係で数え方が成り立ち、偶数性が強いこと。
数の数え方は倍数関係に満ち、文化としては偶数性に富んでいる。
「偶数的な考え方を好むものは、対遇的な、調和的な状態を重んじる」(白川静)
中国人は奇数好きで、それは自分を中心に置ける数だから。(中華思想)
西洋に対置する「東洋」というペアを考え出したのは、日本の蘭学者の佐久間象山や橋本左内で、地理概念ではない。
一方、中国では東洋という言葉は日本をさした。
同じ漢字を国字としても、大きな違いがある。しかし共通の基盤があることが、日本人が自分たちの言語を記述する際に漢字を取り入れることができた理由。その基盤の重要な一つは、古代の中国も日本も、神を祭ることと政治支配が一致した「祭政一致」の社会であったこと。
日本語は母音を交替させて関係する言葉を次々と作っていく言語であること。日本語もまた非常に体系的につながっているのだということ。
白川静と「東洋」の回復、
そういうことで、
白川静さんが提示した日本語の世界から。
日や月の沈む方向。
「し」は「ひがし」「あらし」「つむじ」と同じく風の意であり、また方向をいう。
西方は日の没するところであるから、インド・ヨーロッパ系統のものにも、「西に沈む」「消える」という意味を含むものが多く、go west
といえば死を意味する。
中国では西方の山である崑崙(こんろん)が 、死霊の帰するところところであった。
『字訓』白川静
激しい風。、暴風をいう。
「散る:」「荒る」に風を意味する「し」を加えたものであろう。
もとは山から吹き下ろす風をいう語であった。
暴風には、「はやち」{しまかぜ」のようにいう。
「嵐」は六朝期頃から用いられる字で、謝霊運などの詩では嵐気をいう語である。嵐影湖光のように用い、烈風をいう字ではない。我が国では山おろしの風がときに強く吹くことがあるので、そのまま烈風をいう語となった。地勢風土などの相違が、語彙の創意となって表れたのである。
『字訓』白川静
、『白川静さんに学ぶこれが日本語』(小山鉄郎)
ひがしとにし
風が吹いてくる東と西―時雨や疾風や塵も
「ひがし」・・日が向かう「日向かし」
「にし」・・「日向かし」に対応する、「去(い)ぬ」など。
風を表す「し」は日常の言葉にたくさんある。
〔字訓〕で紹介されているが、幸田露伴の〔音幻論〕に風に関するたくさんの言葉がたくさん挙げられている。 露伴によると「かぜ」の「か」は「気(き)」のことで、大気の動きが「かぜ」。ものが散乱する「ちる」の「ち」も風のこと。「風によって物のちらさるる」をいうとある。「ちり(塵)は風によって散乱したもののこと。
秋というと?
・・・風だと思う・・・
ここで、風の歳時記:秋であるが・・以下三つ。
雁渡し(かりわたし)
旧暦8月ごろ、狩りを載せてきた片吹いてくる冷たい季節風。
野分(のわき)
9月の二百十日から二百二十日にかけて、野の草を分けながら吹き荒れる強い風。
秋声(しゅうせい)
舞い落ちる木の葉の音など、秋を感じさせる音とともにある風。「12カ月の決まり事歳時記」(現代用語の基礎知識付録)
〔枕草子〕ではなんといっているのか?
〔枕草子〕(1002)の第一段の、秋の部分でも、
やっぱり、秋声?・・風の音
それより前の〔古今集〕(905または914)の有名な歌にも。
第一段
春は曙。(中略)
夏は夜。(中略)
秋は、夕暮。(中略)
秋は夕暮れ。(略)陽(ひ)、入り果てて、風の音、虫の音など、いと哀れなり。
※ちなみに「冬は早朝(つとめて)。」という言葉は、
昭和二十年代まで主流だった北村季吟の〔春曙抄〕(能因本系の〔枕草子〕の注釈書)の解では、実は、本文には入っていない由。現代は三巻本が主流。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
〔古今和歌集〕 秋の歌 巻頭の立秋の歌
913(延喜十三)年頃の成立とされる。(wikipedia) https://shikinobi.com/
日本人の抒情詩総めくりという感じの、大岡信の「折々のうた」から適宜えらぶことにしたい。
『折々のうた』全10冊 (岩波新書、1980年-1992年)
から。
『新折々のうた』全9冊 (岩波新書、1994年-2007年)は不明。
(後ほど)
〔折々のうた〕所収の「秋風や」の数は?
「折々のうた」(一冊目)秋の部(81歌)には
「秋風や」の句は一つも無く、「秋風に」が一つ。
秋の「月」が多い印象。以下参考までに数をあげる。
〔折々のうた〕 秋のうた・・・81(所収0)
〔続折々のうた〕 秋のうた・・・85(2)
〔第三折々のうた〕 秋のうた・・77(0)
〔第四折々のうた〕 秋のうた・・・97(1)
〔第五折々のうた〕 秋のうた・・79(0)
〔第六折々のうた〕 秋のうた・・・93(1)
〔第七折々のうた〕 秋のうた・・84 (1)
〔第八折々のうた〕 秋のうた・・・91(0)
〔第九折々のうた〕 秋のうた・・84(1)
〔第十折々のうた〕 秋のうた・・・75(1)
※846中7
秋風やしらきの弓に弦(つる)はらん
向井去来〔芭蕉七部集〕
(夏目漱石が寺田寅彦に佳句の例として挙げた)
秋風や白き卒塔婆の夢にいる
榎本星布尼 (コトバンク) 江戸後期 加舎白雄の愛弟子
(続折々のうた)
秋風や鼠のこかす杖の音
稲津祇空(こくう) 江戸後期
※「和歌で秋風といえば最も正統的な秋の季語。俳諧はそれを闇夜の鼠と結びつけ、おかしみと哀歓を生む。」
〔第四折々のうた〕p131
秋風や唐紅の咽喉仏
夏目漱石〔修善寺日記〕(大吐血後の静養中の句)
〔第六折々のうた〕
秋風やむしりたがりし赤い花
小林一茶〔おらが春〕
〔第七折々のうた〕
秋風や余震に灯る油皿
渡辺水巴(すいは)〔白日〕(昭和11年)関東大震災
〔第九折々のうた〕
秋風や都から来て蛙釣り
小沢碧童〔碧童句集〕(昭和35年)関東大震災の避難
〔第十折々のうた〕
ちなみに色々集大成されているが、大岡信さんといえば、窪田空穂の鑑賞が良かったと思い返す。なお、有名どころというと、〔新古今〕巻四 の「三夕の歌」は(第三折々のうた)にある。
寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ
(寂蓮法師)[1139ころ~1202]
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ
(西行法師)平安後期[1118~1190]
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
(藤原定家) [1162~1241]鎌倉初期
また、佐々木信綱のよく愛誦されるうた(第五折々のうた)に。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
〔新月〕(大正1)
真萩散る庭の秋風身にしみて夕日の壁に消えゆく影ぞ
永福門院 〔風雅集〕
秋風にこえをほにあげてくる舟はあまのとわたる雁にぞありける
藤原菅根(ふじわらのすがね)〔古今集〕秋の歌上
※「ほ」はかけことば(秀→高く秀でた声と帆)雁の渡る空が海に
〔折々のうた〕
秋風に歩行(ある)いて逃げる蛍かな
小林一茶〔七番日記〕
あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原
西行法師 〔新古今集〕巻四
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ
石田波郷〔鶴の目〕
秋風にしら波つかむみさご哉
高桑蘭更〔半化坊発句集〕
人に似て猿も手を組む秋の風
浜田酒堂〔猿蓑〕芭蕉門人
十団子も小粒になりぬ秋の風
森川許六〔韻塞〕芭蕉最晩年の門人
〔第四折々のうた〕
夕されば秋風寒し吾妹子(わぎもこ)が解き洗い衣行きて早着む
よみびとしらず〔万葉集〕巻十五
秋風の 吹きわたりけり人の顔
上島鬼貫〔鬼貫句選〕江戸初期
秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露
藤原義孝 中古三十六歌仙 (伝染病で21歳で死亡)
〔第五折々のうた〕
秋風の吹くにつけてもとはぬかな萩の葉ならば音はしてまし
中務〔後撰集〕巻十二恋四
※秋風/厭き風 萩/招(を)き
秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ
夏目漱石 大正3年十月「わが犬のために」 愛犬ヘクトウ墓標
なきがらや 秋風かよふ鼻の穴
飯田蛇笏〔山廬集〕(昭和7年)
〔第七折々のうた〕
我妹子は衣にあらなむ秋風の寒きこのころ下に着ましを
よみびとしらず〔万葉集〕巻十秋相聞。
※寄物陳思(物に寄せて思いを陳(の)べる)の技法
〔第八折々のうた〕
秋の来て身にしむ風の吹くころはあやしきほどに人ぞ恋しき
月下門院〔玉葉集〕巻十四雑一。(親友の女性へ)
〔第九折々のうた〕
行くほたる雲の上まで往(い)ぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ
在原業平 〔後撰集〕巻五秋
野分わが鼻孔を出でて遊ぶかな
永田耕衣〔驢鳴集〕(昭26年)
〔第十折々のうた〕
ここで最後に、 〔字統〕に戻ろう。
【説文解字】十三下に、「八風なり」として、東方、東南、南方、西南、西方、西北、北方、東北の八風の名をあげる。
この方神・風神の名が、〔山海経〕のうちにも古伝として伝えられている。卜辞に見える神名・風名と比較するとほぼ対応関係にあり、殷が滅びたのちも、その伝承が一部の巫祝の間に保持されていたことが知られる。
方神は日月を司るものであり、風神はその使者として神意を伝達するものであった。
〔山海経〕に見える神々には、「四鳥を使う」のように、鳥型の神を使者として使うものが多い。卜文の風が鳥の形、それも鳳凰の形でしるされているのは、風はその神鳥の羽ばたきによって起こると考えられていたからであろう。
鳥型風神が、今の風の字形に移行した時期は明らかではないが、晋の会稽刻石(かいけいこくせき)には、篆文と同じ字形が用いられている。
風は自然と人間の生活との媒介者であり、その生活の様式を設定するもので、そのような営みを風化といい、流風という。
皇帝休烈,平壹(一)宇内,德惠攸(修)长。卅(三十)有七年,寴䡅(亲巡)天下,周览远方。遂登会稽,宣省习俗,黔首齐(斋)庄。群臣诵功,本原事速(迹),追道(首)高明。秦圣临国,始定刑名,显陈旧章(彰)。初平灋(法)式,审别职任,以立恒常。六王专倍,贪戾慠猛,率众自强(彊)。暴虐恣行,负力而骄,数动甲兵。阴通间使,以事合从,行为辟方。内饰诈谋,外来侵边,遂起祸殃。义威诛之,殄熄暴悖,乱贼灭亡。圣德广密,六合之中,被泽无彊(疆)。皇帝并宇,兼听万事,远近毕清。运理群物,考验事实,各载其名。贵贱并通,善否陈前,靡有隐情。饰省宣义,有子而嫁,倍死不贞。防隔内外,禁止淫泆,男女絜诚。夫为寄豭,杀之无辠(罪),男秉义程。妻为逃嫁,子不得母,咸化廉清。大治濯俗,天下承风,蒙被休经。皆遵轨度(度轨),和安敦勉,莫不顺令。黔首修絜(洁),人乐同则,嘉保泰平。后敬奉法,常治无极,舆舟不倾。从臣诵烈,请刻此石,光陲(垂)休铭。
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