日本で嫌われる数の4(死)と9(苦)なのだが、中国では。全く違う・・
これから少し数の漢字を見てみます(2013-02-01)

文字講話より(白川静)

ひとつと千
日本語では「ひとつ」の「ひと」は人で、
人ひとりを単位として数を数え始める。
それに対し、漢数字の方は、人(にんべん)の形に肥点(横棒)を加えたのが「千」。
・・国語では、人を「ひとり」と数える。しかし漢数字で人が入る形は千で、千人単位で数えておる。数える基準が違う。 
日本語の一番大きい数は万(よろず)、千万(ちよろず)まで。
「億」という字は、単に「かず」と読むだけであって、国語としての読み方が無い字だ。
わが国では、「大数」(だいすう)が「よろづ」で止まり、ゼロ以下の呼び名はもちろん国語にはなかった
1(ひとつ)と2(ふたつ)、3(みつ)と6(むつ)、4(よつ)と8(やつ)、5(いつつ)と10(とを)は、単なる母音の転化でなく、それぞれの意味を持つ倍数関係をあらわす語であったろう。
ここにない7と9は、指を折り数えたときの「名、なし」(無名指)が7の語源(新村出説)
「かかなべて(指を折りつくして)夜には九のよ 日には十日(夜の数では9だが日の数では10)」=折りつくした指が九・・だそうな・・
数には計数の他に序数・名数があるが、日本語には名数〔分類に使う〕的方法が殆どなく、その欠陥を漢字が補う・・・という。
数量言語学によって、統計的に分析された国語系統論を見て、近隣の他言語と必ずしも同系と認めがたい。日本語は極めて悠久な時代に生まれた言語である

続く

『数になりたかった皇帝』(円満字二郎)

つまり、諡(おくりな)という制度を変えたいと思ったという始皇帝のことなのね 。
それは君主の死後、子孫や臣下がその業績を追慕して定める呼び名で、それだと子どもが父親のことを評価し、臣下が君主について議論することになる。
朕を始皇帝となし、後世は計(かず)を持って数え、二世三世より千万世に至るまで、これを無窮に伝えん。
自分は「始皇帝」と名乗るから、あとは、「二世皇帝」「三世皇帝」と続けて、千世も万世も永久にこの帝位と帝国を伝えていこう、と考えたのである。(p110)

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