古代ローマ人の服装
メインテーマの古代ローマ人の生活(衣装)ということであるが、こちらは、比較で、その前のギリシアとのを見ようという、続きのページです。
ギリシア人の服装
ここで遡って、ローマ以前のギリシア人の服装についてです。
下記の本には「ギリシア人の服装」という項目もあります。
以下に引用を・・
「西洋暮らしの文化史」
青木英夫著 雄山閣1996年3月刊
古代ギリシア人の服装
初めは未開服であったが、紀元前5世紀頃から優美なものに移行していく。
襞やドレープを出すための薄手の布の発達以前は直線的なものであったが、織物の高度な技術と、マケドニアのアレキサンドル大王の東方進出により、エジプトの麻、小アジアとの交流で絹が輸入され、ここにギリシア服の完成を見ることができるのである。(p29)
ドーリア式ペプロス(peplos)
古代ギリシア人の服装には二つのスタイルの流れがある。(ドーリア風。イオニア風)それがやがて一つの基本スタイルになった。
女性用の衣服の基本スタイルは、ドーリア風の「ペプロス(peplos)」で紀元前6世紀の初めまで用いられた。(ドーリア式キトンとも呼ばれた)
短いケープのついた、襞のあるマントのようなもので、ベルトなしでも着られた。
これは毛織物の布の幅約6フィートの布地で、長さは身長丈に18インチくらいの長さである。
布の上端を折って、肩から踝までの長さにして、片脇は布地を輪にしたまま、両肩をフィビラ(fibura)で止める。
フィビラは今日の安全ピンのはじめである。これは紀元前1100年頃からだと言われている。(p29)
イオニア式キトン(chiton)
ドーリア式ペプロス(キトン)の後からさかんに着られるようになった。
イオニア人は小アジアの影響を受けて薄い麻地や絹を愛用した。ペプロスも布地が薄くなれば幅が広くなる。10フィートの広さのものまで会った。しかし長さは、肩から踝までのもので、場は広いので肩に止めるフィビラは8本から10本も 必要であった。
図の見られるサイト
■By Pauline Weston Thomas for Fashion-Era.com :
Ancient Greek Costume History
Greek Dress - The Chiton
■https://jp.pinterest.com/renaissancemaid/greek/
(男)ヒマチオン(hemation)
男子用の上衣はヒマチオン(hemation)で、毛織の戸外着であったが。イオニア風の薄手で軽い材料が使われだすと、日常着になった。キトンを用いず、ヒマチオンだけを着ることも多くなった。(哲学者)
次第に襞のとり方も洗練されるにつれ、長さが4メートルから6メートルで、幅は1メートルから2メートルと大型化されるようになった。
(男)エクソミス(exomis)
一般男子の着るエクソミス(exomis)は丈が短く活動的なものである。右肩を出して体に巻き付けた。長方形の毛織物で二つ折りにした布を左側からまとい、前後の布を左肩よりでフィブラで留め、胴を紐か帯で締める。左から右腰に襞が流れるようにした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Exomisギリシアの衣服は基本的には男女とも同じものだったが、必要に応じて男性専用の着付け法も考え出された。
まず身の丈の長さである。紀元前7~6世紀には、まだ男性も身丈いっぱいの長さにキトンを着た。幅はだいたい肩から踝まで、背丈いっぱいに布地を使って、余った部分を作らないのが男性用である。たるみはないから、両側は縫い合わせる必要が出てくる。
留め紐の扱い方も違っていた。一本の長い紐を両肩から首の後ろを走らせ、輪をくぐらせて結んで広い「袖」の部分を留める。つまり、両腕を自由にするための、たすきがけみたいなものである。
これ以外にクラミュス(chlamys)がある。これは左肩からかけて着るもので、長い場合でも膝に達する程度で、右肩でフィブラで留めた。
ギリシアのサンダル(履き物)
ギリシアでは、室内では誰もが素足であった 。屋外では裸足は下層階級である。上流階級はサンダルをはいた。
サンダルの底は平たい皮がごく一般的で、紐の掛け方は色々会った。ごく一般的なものは、親指と第二指の間を紐で書け、踝も固定する形。
変わったものではエジプで出土した、
底に釘を打ったサンダルである。これはギリシアの娼婦が履いたものと推定される。
ブーツもあり、これは兵士や狩人など、激しい労働が要求される人間の履物 (
「西洋暮らしの文化史」 青木英夫著 雄山閣1996年3月刊 p31)
小林秀雄が戦前に書いていた「歴史」関係の一節をおもいだす。 「サンダルの音が聞こえる、時間が飛び去る」という最後の一節・・
「政治もやり作戦もやり突撃する一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった。知り尽くした材料を以ってする感傷と空想とを交えぬ営々たる労働、これはまた大詩人の仕事の原理でもある。『ガリア戦記』という創作余談が、詩のように僕を動かすのに不思議はない。サンダルの音が聞こえる、時間が飛び去る」(『文学界』昭和17年5月)
http://www.wh2.fiberbit.net/mats/books/gallico.htm
ペクソス(帽子)
主として旅行用。丸いクラウンと平たいつばのフェルト製。
ギリシア人は普段は無帽。
紀元前5世紀までは。男性も女性も少年のように長い髪をしていた。
しかし男性は成人すると断髪にした。切った髪は神に捧げる風習ができていた。
初期には、髪を中央から分け、こめかみの一部を覆うようにして一本のリボンできちっと頭を抑えていた。黒い髪を背中に垂らし、さん、四本の巻き毛を胸に垂らした。ギリシア人は髪をウェーブにしたり、カールするのに、カラミストアム(calamistylam)という2本の細い金属のパイプを使っていた。
宝石(アクセサリー)
衣服が比較的シンプルなため、装飾としてアクセサリーに重きを置いた。
リング、ブレスレット、ネックレス、またキトンを留めるためのフィブラ(ピン)やペロネ(ブローチ)などは他国の装身具のように魔除けや宗教的な意味はかなり薄く、歴史上初めて着用者の個性を高めることを目的とし、美的感覚にまで進展した。(p32)
「バルバロイ!」に図がありました http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/wear.html
J. Moyr Smith's Greek Female Costumeは必見というお話だがancientgreekfema00smituoftの方に残っていました
(20170116現在)
Ancient Greek female costume : illustrated by one hundred and twelve plates and numerous smaller illustrations ; with descriptive letterpress and descriptive passages from the works of Homer, Hesiod, Herodotus, Aeschylus, Euripides, Aristophanes, Theocritus, Xenophon, Lucian, and other Greek authors
by Smith, J. Moyr, 1839-1912Published 1882
Odysseus wearing the pilos hat, an exomis and a chlamys
Pileus (hat)
(Wikipedia:pilos, also pilleus or pilleum in Latin)
The pilos was a common conical travelling hat in Illyria and Ancient Greece.
The pilos is the brimless version of the petasos. It could be made of felt or leather.
https://en.wikipedia.org/wiki/Pileus_(hat)
Wikipedia:exomis https://en.wikipedia.org/wiki/Exomis
The exomis was a Greek tunic used by workers and light infantry.
Wikipedia: chlamys https://en.wikipedia.org/wiki/Chlamys
長くなりましたので、もういちど年代順に見直し^^;⇒服飾史をこちらに続けます(メソポタミアから始める)
そちらで、同じ著者の『下着の文化史』(2000年11月 雄山閣出版刊)からもみます。