古代ローマ人の生活:庭・住居
古代ローマ人の生活・・・服装チェックに続いてお庭拝見!
古代ローマ人のアトリウム
ペリスタイル(peristyle)
ローマの枕詞(?)「永遠の都」とは、百科事典によれば、
古代ローマの部分が見事な廃墟として残っているのは、
そこにおける居住が中世以降放棄されていたから。
ルネサンス期からすでに、宗教的文化的巡礼地というようなものであったという。
いうなれば、バチカンの門前町であったと。
……意味することはそういうことで、古代からず~~っと、都であったと言う意味ではないと。
人口も、共和制期に37万帝政期に100万中世は3.5万
ルネサンス期10万1980年280万(ローマ市人口)……
ふむふむ……意外な感じがします。
330年ビュザンティオン(現在のイスタンブル)に
新首都コンスタンティノポリスを建設
395年にローマ帝国が東西に分かれた後は
西ローマ帝国は首都をラヴェンナに置いたため政治的重要性は大きく低下した
(フィレンツェは人口35万)
かつてのフィレンツェ共和国、トスカーナ大公国の首都。
イタリア統一後、短期間イタリア王国の首都がおかれた(1865年-1871年)。
1871年、イタリア王国にローマ教皇領が併合されイタリアが統一されると、
ローマはフィレンツェに代わって統一イタリアの首都となった。
「ルネサンス期からすでに、宗教的文化的巡礼地というようなものであった」という事なのだが、 とにかく、巡礼である。
ボマルツォの怪獣庭園にも、行ってみようと思う・・
http://www.sacrobosco.it/(公式サイト)
アーモイタリア旅行ガイド