座る(坐る・すわる)

常用漢字 1、2字について、字そのものの調査・研究を1600~2400字にまとめる

土と二人の人…

坐るの字の中の土と人

 座禅のサイトに、「坐」とは、土の上に二人(両方自分である)が向き合って座ること、という印象的な字解があり、ここで少し考えてみます。
おまけとして、薔薇という字の「薔」の中に、土と二人の人という形の字があるのだが、人は2つ、土の中に入っている。「坐」に似ているのだが、これはなんであるのか・・それもテーマに。

薔の字の中の土と人


まだある二人の人…

土の代わりに工ですね (呪具)
巫(みこ)
土の代わりにナベブタと十
卒(ソツ にわか おわる)
こっちはひとが三人(真ん中は人の正面形の大 でしょうか)
夾(キョウ コウ はさむ)
顇(スイ やつれ) 莝(ザ) 崒(シュツ)
嗇(ショク シキ おしむ) 來(ライ くる) 麥(バク ミャク むぎ)
萊(ライ あかざ) 巫(みこ) 鋏(はさむ)
从(ジョウ ショウ したがう) 剉(くじく、きる) 俎(ショ ソ まないた)
麳(ライ) 愜(キョウ) 懎(ショク) 爽(ソウ) 噞(ゲンあぎと)
厸(リン)
  白川静の「常用字解」「字統」の「土」の項。
土を縦長の饅頭型に固めて台の上に置いた形で、これを土地の神(土主)とした。 (字統では:地中よりモノを生み出す形)
土はのもとの字。(字統の用語では:「初文」)
坐は土主の左右に人が座る形
土主の前に座るのは裁判を受けるため
もと、神の座の意味。
神や仏像の数を数えるのに、一座、二座のように言う。
「坐」はすわるの意に、「座」はすわる場所に意味に使うが、国語では「坐」 の代用に。
中世、寺院や神社などの保護を受けて活動した同業者の組合を「座」という

  白川静の「常用字解」「字統」の「社」の項。
土は社のもとの字
甲骨文字には小点がついた形があるが、土主に清めの酒を振りかけている形である
社はもとは建物を建てたり、屋根で覆うことはなかった。 示は神を祭るときに使う机。 土が、つち、つちくれ、大地などの意味に使われるようになって、土に示を加えた社がもとの「やしろ」の意味につかわれるようになった。
各地の土主の上に木を植えて祭ることが多かった。のち建物を建て、そこに神を祭るようになった
のち、社を中心として人々の集団が作られ、結社、会社のように人々の集団の意味に使う。

坐(すわ)る
「土と向かい合った人からなり、土はとどまるところを示し、 人が場所にひざを折ってとまることを意味する」(角川書店「 漢和中辞典」)

挫折の (くじく・そこなう)は(同じく「常用字解によれば、)
坐は法に坐すること と、挫は争議に敗れることであるという。
なるほど・・「青春の挫折」とか蹉跌とか、はかなくもカッコ良い言葉であったが・・。
挫・・途中でつまずく、くじける・・頓挫

「坐禅」

ここで 「坐禅」 の意味をWEB上にある様々な言葉から
「土の上に人が2人、向き合って座って いる。人と言うのは片方は自分。もう片方は他人ではなく内面 の自分である。静かに自分自身と向き合って、自身を鍛錬す るものである。」ということだそうです。 姿勢を正し呼吸を整えただ座っているのみ。時間は30分間
http://hw001.gate01.com/miyamoto-s/sub7.html

坐禅の「坐」は、土の上に人が二人いると書きます。 この「二人」は自己の二面性を表しています。 良く考える自分と、悪く考える自分。 前向きな自分と、後ろ向きな自分。 自己と自己が対面するさまを表しているのです。
坐禅の「禅」は、しめす偏に「単」と書きます。単純に示せという意味です。(※) つまり、良い自分も悪い自分もひとつに集約しなさいということ。 居ずまいを正し、呼吸を整え、心を無にする――自己と対面し、自己と一体になる。 これが「坐禅」です。
http://www.keiei-zen.com/

坐禅の坐という字は二人の人が土の上に座っています。 この二人は誰かというと、二人とも自分(わたし)なのです。 わたしがわたしと向き合って座っているのです。 禅は梵語のジャーナという言葉を漢字で禅那と表し、そのうちに那という言葉が無くなって禅だけになったもので、その意味は心と体を統一させること、そして統一させることによって起こってくる心の静まった穏やかな心境、境涯のことを言います。 つまり、坐禅とは、土の上に座って、自分がもう一人のわたしと向き合い、向き合うことで心と体を一つに結びつけ、そのことによって心を安定させていく修行のことなのです。
気功では、その向き合うわたしを、もう少し具体的に、皮膚感覚、皮下の感覚、体内感覚、体内の動きの感覚、そして気の感覚と対象を明確にし、心地よい体の感覚を含めた穏やかな心境を獲得していくのです。
http://blog.livedoor.jp/e7dkizg/archives/51439509.html

慧能禅師は「さまざまな環境によって、気持ちが左右されたり、とらわれたりしない心を『坐』といい、私たち自身にも、そういった周りの環境やその場の感情に左右されない真実の心といったものがある、と信じることを『禅』というのである」、と言っています。つまり、坐禅とは、自分の中にある真実の心に気づくための方法
http://www.tees.ne.jp/~houjuzan/zazen02.html
只管打坐(しかんたざ)
ただひたすらに坐禅を実践せよ 打は強調字

「六波羅蜜」(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つ

以上を読むと、座禅は 根本的には 座って、静かなる自分の時間をもつ、・・・ということであるようですが、 そもそもは、すわるのは裁判の席であったから、そこは争いの席に坐す、そして それが、解決の場になる・・。

禅・・
元の字は禪に作り、音符は單(たん)説文に「天を祭るなり」とあって、封禅(ほうぜん)の礼(天子が祭壇である墠(せん)を設けて天地を祭る礼)をいう。
禅譲によって位を受けるときに行うので、天子の位を「ゆずる」の意味となる。のち禅宗・禅学の意味に用いる。禅宗は、インドから伝来した大乗仏教が中国古来の荘子などの思考法の影響を受けて、中国独自の思想的宗教として中国で成立した。 座禅じっと座って精神統一を図り、真理を悟ろうとすること(常用字解) 



座るとは、 静かに自分自身と向き合う、という時間をもつということといってよいようです。
今までは座禅というのは何も考えないですわる、無の境地になる、そういったことのように思っていましたが、 自分の中にある真実の心に気づく。 自分がもう一人のわたし、内面 の自分と向き合う。 良く考える自分と、悪く考える自分、 前向きな自分と、後ろ向きな自分を一つにして安らかになる・・
まさに、解決・・・

大言海の「すわるとばあとる」には笑った・・・ 袴の戯れの異名だそうだ(座ると場をとる)

「めがすわる」と怖い・・
このすわるの表記は(据わる」
国語大辞典には、すわる、すわりに「座」「坐」の他に「据」の字・・
据えるに対する自動詞とある(言泉)
ものの安定度
心のすわりがつく
座り心地が悪い
争議の一戦術として、抗議のため、目的を達するためにある場所に座りこむこと 地位に就く・・社長の椅子に座る
ものがしっかりと定まる・・赤ん坊の首が据わる

角川大字源
地中から植物が吐き出されるように発芽する形をかたどる。「ト」の音は、はきだす意(=吐)と関係がある。
一説に、土砂の積み集まって噴気する形にかたどり、「ト」の音は、土砂の積み集まる意(=堆)と関係があるという。 また一説には、土地の神を祭るために設けた土盛りの形にかたどり、つちの神の意

角川大字源
土用
「五行を四季に当てると、木は春、火は夏、金は秋、水は冬となり、土の行き場所がないので、各季の立春、立夏、立秋、立冬の前この期間を土用という。」
土の行き場所がないので・・というのにもちょっと笑いました・・

土壇場
決断を迫られる最後の場面
もと斬首の刑を行うために築いた土の壇の意(明鏡国語辞典)

土は人の住みつくところ
厭離穢土・・「欣求浄土」と対

土はふるさと
異土
ふるさと(郷土)は遠くにありて思うもの、よしや異土の乞食となろうとも、帰るところにあるまじや・・
小景異情;室生犀星(21歳)


坐と関係のある漢字

漢字音符辞典にあるのは、次のもの;
吐(はく)
徒(かち、仲間)
杜(ふさぐ、もり)
肚(はら)
跿(はだし)
牡(おす)
(庄 おさえる、しずめる)※


その社に属するもの・・徒
(庄)・元の字は厭の下に土(壓)
厭に土を組み合わせた会意文字
厭(たる、いとう)は犬の骨付きの肉(冐ボウ)を厂(かん 崖の形)の下に置き、土地のおはらいをする意で、 これを厭勝(まじない)という。

土の部にある、構造の似ている漢字

塗(ぬる)
塁(るい)
型(かた・いがた)
塾(わきべや、まなびや)
茎(くき)
壁(かべ・かき・がけ)
堂(たかどの・おもてざしき)
墨(すみ・くろい・いれずみ)
墓(はか)
塵(ちり)
圭(けい)は常用外

塗(ぬる・どろ・みち)
塗りこめうることは、呪禁(まじないをして邪霊などを祓うこと)の方法


壘(かさねる、とりで)
上の三つの田は土を袋に詰めて積み重ねた形
土のまま固めて積み重ねた形は、 ムが三つで同じく「るい」


型(かた・いがた)
井(けい)は鋳型の外枠。その外側に土をぬり固めてつくった鋳型


塾(わきべや、まなびや)

建物の門のそばにある部屋で、元服などの儀礼をおこなう部屋であった。


垂(たれる・たらす・なんなんとす)
たれてつちに近づく

神座
大阪には神座(かむくら)とよむというラーメンチェーンがあります(いやWikipediaによれば奈良発祥でした)
Wikipedia神座

上座・・下座・・

土下座


土下座(どげざ)とは、土の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式のひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪、お願いの意を表す場合に行われる。転じて、相手に屈する様子についても土下座と呼ばれる
『魏志倭人伝』には邪馬台国の風習として、平民が貴人と道端で出会うと、「道端で平伏して拍手を打つ」との記載があり、古くからの日本の習慣であったと思われる。
近代まで庶民が貴人に面会するときも土下座をするのが通常であった。
江戸期には相手に土下座をして謝ることで、大抵のことは許してもらえる風潮があった。Wikipedia

正座

Wikipedia
罰としての正座(足を崩さず座る)

熟語

即座に反応する



クレオパトラ

サーチボックスあり