仏蘭西ローマン

BOOKS

パリ―中世の美と出会う旅 (とんぼの本)
木俣 元一 (著), 芸術新潮編集部 (編集) 新潮社2008/9/1刊

パリで、ロマネスク(11~12世紀)とゴシック(12世紀半ば~15,16世紀)の美術を見るというテーマ。
掲載写真を見ながら、類似写真なども丁寧にネット検索してゆっくり見ます・・
(20210813→20210907)

目次

はじめに

Day1  シテ島ぶらぶら

Day2 静かなルーブルと街角のロマネスク

Day3 シャルトルへ

Day4 クリュニーの至宝と壁探し

Day5 聖王ルイが愛した小さな町


中世のパリ 歩き方ガイド&マップ

中世をもっと知るために  木俣元一

1. パリシイ族から始まる


(クリックで拡大)

(ホイジンガ『中世の秋』の書き出し引用あり)(p34-37)

2.ゴシック誕生!

様式区分は後世の美術史家が作り出したもの
「中世の美術を一つの大きなまとまりとして捉え、その特徴を理解することから始めた欲しい。」(p62)

登場人物がつねにドンと中心に構えていて、背景や周囲の状況の描写は最小限に切りつめられている。
その結果、人物とその行為が最前面に出てくる。(p62-65)
ルネサンスの「笞打ち」は遠近法でひっそり。
ゴシックの「笞打ち」は臨場感たっぷり

Piero - The Flagellation
『キリストの鞭打ち』(1468-1470年頃、マルケ国立美術館)
ピコ・デッラ・フランチェスカ
対比図(p62)は 「ナルボンヌの祭壇布」(ルーブル蔵)


3. 聖なる居酒屋ものがたり

シャルトル大聖堂の「聖レオビヌス伝」(側廊のステンドグラス)より、居酒屋の店先、
棒の輪は、酒樽の箍で居酒屋の看板代りだったという。(p69)

Chartres 45 -001

Stained window in Chartres cathedral - fragment
. Cathedrale nd chartres vitraux017

キリスト教では聖職者がぶどう酒をキリストの血に変え、信徒たちがそれを飲むことでキリストとつながって一体となると考える。(「 聖餐の秘跡」)
シャルトル大聖堂には、レオビヌスという町の司教の伝記を描いた(13世紀の)ステンドグラスに、聖堂と居酒屋を比較するような場が見られる。(p82)

「ゲスタ・ロマノールム(ローマ人叢話)」中世の説教集:極楽亭という居酒屋で天国のお酒を出している。その軒には十字架の看板がかかっているという話。

「シャルトルは日本でいえば法隆寺みたいなもの。」・・イメージがはっきりする。→教会=居酒屋とたとえて納得


「ステンドグラスは下から上へ、左から右へと見ていくのが原則だが、シャルトルの場合は少し複雑。 (p82)
図のAからEへと続く「ぶどう酒の物語」 と、1から16へと続く「聖レオビヌスのセ湯瀬物語」という二つのストーリーがパラレルに絡み合いながら、下から上へ進行してゆく。13世紀前半。」

AからE、はいわばぶどう酒の出世物語。
これらの円形場面をっこむ4つの場面にはレオビヌスという聖人の伝記。羊飼いの出身でありながら学問を修め、修道院に入り司教となって奇蹟を行う、というように酒の話とは、まったく関係なさそうなこの男の生涯が、ぶどう酒の運命と重ね合わされている。

窓の外周は葡萄唐草模様に囲まれ、そこに杯を差し出す人々が並んでいる。ぶどうの木はキリスを示すと同時に、彼と一体となった信徒たちからなる教会の比喩としてよくもい散られる。
手の込んだステンドグラス。レベルが高度に設定しすぎ。


このステンドグラスについて、非常に詳しく考察しておられるご著書は以下。


「シャルトル大聖堂のステンドグラス」木俣 元一

【目次】
第1章 シャルトル大聖堂のステンドグラスへの問いかけ―序にかえて 1.1 「文字を読めない人々の聖書」をこえて 1.2 解釈の前提 図像テクストの作り手と受けて 1.3 テクストとしてのイメージ
第2章 分節システムと幾何学的構成―枠とイメージを結ぶプロセス 2.1 はじめて 2.2 シャルトル大聖堂におけるステンド・グラスの分節システム 2.3 パネルと場面 2.4 分節システムの3つのタイプとその基本的様相 2.5 おわりに
第3章 比喩としての物語の実現―“放蕩息子の譬え話”の窓 3.1 はじめに 3.2 たとえ話とその視覚表現 3.3 シャルトル大聖堂《放蕩息子の譬え話》の窓 3.4 おわりに
第4章 幾何学的構成のはたらき―“使徒聖トマス伝”の窓 4.1 13世紀フランス人における《使徒聖トマス伝》の図像表現の展開 4.2 シャルトル大聖堂《使徒聖トマス伝》の窓
第5章 「ぶどうの木」としてのカトリック教会―“聖レオビヌス伝”の窓 5.1 はじめて 5.2 分節システムと幾何学的構成の特質 5.3 中央軸線上の場面と《聖レオビヌス伝》 5.4 周縁と中心、階層性、ネットワーク 5.5 ぶどうの木がつなぐもの
第6章 「寄進者像」を読み直す―教会論的視点 6.1 「寄進者像」の問題点 6.2 「働く人々」と中世の教会論 6.3 パンとキリストの身体、そして教会
第7章 聖像と偶像―13世紀初頭のカトリック教会とイメージ 7.1 はじめに 7.2 問題の所在 7.3 偶像表現の特質 7.4 偶像とキリスト教の信仰との対比 7.5 「イメージの中のイメージ」としての聖像(1) 7.6 「イメージの中のイメージ」としての聖像(2) 7.7 おわりに
第8章 聖ニコラウス像を罰するユダヤ教徒―宗教的イメージをめぐるポレミカルな図像 8.1 はじめに 8.2 聖人像への懲罰 8.3 「イコノクラストとしてのユダヤ教徒」というトポス 8.4 イメージを信仰するユダヤ教徒 8.5 おわりに

4.恋する一角獣

動物は中世の人々にとって、私たちよりもずっと身近な存在だった。
動物の種類は現代よりはるかに限られていた。
一角獣はもっとも人気があり、宗教的モティーフから恋愛に至るまで多彩な主題に登場する。
動物に関する脅威に満ちた伝説をキリスト教的にアレンジした「べスティエール(動物寓話集)」が人気を集めた。

女性に手なずけられた一角獣は、恋に落ちた男のメタファー。(p106)


『生薬の書』より(1520~30年頃)パリ国立図書館蔵 BnF

一角獣の角には解毒作用があるとされており、この写本挿絵では自分の角で川の流れを清めながら飲んでいる。(p107)

ライオンと一角獣(ユニコーン)
lion// タピスりーの注文主ジャン・ル・ヴィストがLyon出身
一角獣//素早さで有名・ 名前のLe Viste(フランス語のvilesse 「速さ」)の言葉遊び

Royal Coat of Arms of the United Kingdom

「五感」のタピスリーに登場する女性たちはみな首飾りをつけている。 (6番目の女性は首飾りを身につけようとしているのか宝石箱にしまおうとしているのか。)
desir(のぞみ)・・五感に身を任せる序・・ つけようとしている。
現代主流の解釈では・・結・・それまでつけていた首飾りを外して宝石箱にしまおうとしているとみる。desirを「自由意志」ととらえる。
マイケル・カミール(✳)という若くして世を去った中世美術史家のとっておきの解釈・・彼女がじかに肌につけていた品物を心のうちに秘めた愛の小箱に封じ込もめ、愛する者への贈物としようとしている。

マイケル・カミール(1958-2002)※グロリス

5.中世はなぜ終わったのか

これも、非常に興味深い論の設定でした‥。

(p124-127巻末)
1347年に南イタリアからヨーロッパに入ったペスト。
パリでは毎日何百人もの市民が亡くなり、人口のほぼ3分の1にあたる5万人を失う。
既に1337年からイギリスとの間の百年戦争が始まっており、1420年から16年間パリは占領される。
1426年、1432年いはセーヌ川は大洪水であふれ、右岸の市庁舎前にあって処刑地だったグレーヴ広場等は数カ月も水浸しであった。飢饉や農民一揆がしばしば発生し、中世の終わりのパリは終末的状況にあったものとして語られる。

一方、ペストによる打撃にもかかわらず、パリの人口は20万人にも万人にも膨れ上がり、ヨーロッパ最大の都市として、政治、経済、学問、芸術の反映を誇っていた。
まるで現代のパリのことのよう。

明暗二つの両面があった。
美術作品についていえば、質・量ともに衰えはなかった。成熟の極み。

15th-century painters - Lament over the Dead Christ - WGA15884
Meister der Pietà aus Villeneuf-les-Avignon 001
 15th-century painters - Lament over the Dead Christ
wikimediaカテゴリ
Bibliothèque nationale de France Latin illuminated manuscripts
15th-century books of hours from France
The Rohan Master

 


1430年頃、アンジュー公の宮廷のあったロワール地方のアンジェで描かれた写本挿絵、
写本の紙面を目いっぱい使った対談な構成と息苦しいほどのドラマ性
中世美術の到達点ともいうべき、きわめてきれいな写本挿絵

1430年頃といえばイタリアでルネサンスが展開しつつあった。
しかし同時に15世紀を通じ、パリを中心としたフランスの中世美術も、様々な個性の輝きにより、イタリア・ルネサンスと拮抗するような優れた作品を生み出していた。

しかしフランスの中世美術は16世紀を迎えると突然姿を消した。

本質的に宗教美術だった中世美術に決定的に終わりを告げたのは宗教改革だった。
西洋世界がカトリックとプロテスタントに分かれると、西洋がキリスト教を基盤とした一つの世界をなすという信念に、深い亀裂が生まれた。
美術そのものも根本から問い直される。
聖なるイメージとして信仰の拠り所であったものが、実はキリスト教で本来制作と礼拝の禁じられていた「偶像」に他ならないことが、宗教改革によって明るみに出される。

歴史は過ぎ去って消えてしまうわけではない。中世がヨーロッパにもたらした経験は地層のように堆積し、現代世界の欠くことのできない部分を作っている。
深く豊か記憶の古層におりりゆき、中世美術と向かいあい、その声に何度も耳を傾けてみたい。(結語)

Day1 シテ島ぶらぶら

書割の美学 ノートルダム大聖堂

ノートルダムのガーゴイル(怪獣型の排水口)
大聖堂の北扉口あたり
Notre-Dame Rzygacze
Gargoyles were the rainspouts of the Cathedral

唐草に巻かれる怪鳥たち。
西正面、右扉口の木製扉(13世紀)
「鋳鉄細工の鉄味にしびれた」
Anneau portail de la Vierge Notre-Dame de Paris

唐草文様は「 楽園のしるし」(p25)
「東洋の織物を模したもの」(p24)

怪鳥のある図像・・・
https://4travel.jp/travelogue/11393966
大聖堂の西正面の入り口は左から聖母マリア、最後の審判、聖アンナの門。上は聖母の門のリング部分で、19世紀の複製になるとか。これを掴むと??

西正面、むかって右側の扉口彫刻。1160年頃
「受胎告知」と「聖母のエリザベート訪問」

「まだロマネスクの風を残した静かな像。衣の裾の表現が巧み
(P14)

人魚や怪鳥会長の浮彫 北側通用門脇1250年頃 「摩滅がむしろ魅力に」

悪徳の栄え 西正面中央扉口「愉快な悪魔ポーズ」

西正面のおすすめは3カ所。
一つは中央扉口の足元・円形の悪徳図。その上に美徳図があり、上下で対になっているのだが、悪徳の方がずっと面白い(p25)

二つは向かって右側の扉口のタンパン。他の彫刻が13世紀前半なのに皓は12世紀半ば。人物の動きが少ないないのは、ロマネスクとゴシックの端境期の風。

三つ目はやはり右側の扉口の、木の大扉。強靭で繊細な、唐草のぐるぐる、その枝先に舞う、ビスケットみたいな怪物たち。

参照サイト
パリ ノートルダム大聖堂の図像学(https://sites.google.com/
⇒旅ブログ(この本を参照しておられたようだ)
https://4travel.jp/travelogue/11448641

Cathedral of Notre Dame in Paris seen from southeast
Notre Dame Cathedral Renovation Feb 29,2020
019年4月15日–火災により、屋根と尖塔の大部分が破壊された。
大聖堂の身廊の窓が取り外され、クレーンが
屋根の残骸と溶けた尖塔と足場を取り除いている
(2020年2月29日の写真)(wikimedia)
News~24年4月に再開する

北扉口中央柱の優美な聖母子像の頭上に、
金槌みたいな武器で悪魔を脅す暴力的なマリアがいた。(p24)
「悪魔に魂を売った司祭テオフィルスが悔悛して聖母マリアに助けを求める」
https://4travel.jp/travelogue/11448641

The Rooftops of Notre Dame
The gallery of chimeras pictured in 1910 by Georges Rendon

登るための整理券(火災前)⇒https://pariscon.com/paris-notredame#i-2

夜明けの聖遺物箱 サント=シャペル

パリの始まりはシテ島。紀元前3世紀にケルト系パリシイ族がこの住み始める。シテの名は508年にフランク族の王クロヴィスがここを首都(シテ))と宣言してから。(p25)

パリで初めての石橋はプチ・ボン(1180)

サント・シャペル Sainte-Chapelle
ルイ9世(1214-70)が聖遺物(建物や美術品より高価だった)22点をまつるために建造。大半は革命の時焼かれ、今は空っぽ。

柱の前に立つ使徒像。小ヤコブ。13世紀フランス彫刻を代表する優品。(p27)「気高い表情。」

身廊の壁の四つ葉装飾の殉教図。聖セバスチャンヌ。「枠に従う構図の妙と的確な線。」(p28)

Day2 静かなルーブルと街角のロマネスク

魚、マリア、涙 ルーブル美術館

古代の石皿(1世紀)に象嵌と縁飾りを加え(10世紀後半)、聖体拝領皿として利用。径17㎝。リュシュリュ―翼2階 工芸品部第一展示室 「ルーブルで最も愛らしいキャラかもしれない。」 (p49)

ブドウの房とつまみ食いの図。ブルゴーニュ地方ロマネスクの愉快な柱頭彫刻。1125年頃。高さ63㎝(p50)
フランス彫刻部 第2展示室

F0082 Louvre Pietà de Villeneuve-lès-Avignon RF 1569 rwk B

目から、傷から
アルゲラン・カルトンの傑作「アヴィニョンのピエタ」
(1455 油彩、板、163×218㎝)
フランス絵画部 第4展示室
イエスの脇腹の傷口から流れるのは、血と、何?(p43)

翼をなくした天使(13世紀末)木 高さ86㎝
フランス彫刻部 第4展示室(リシュリュー翼)
天使をなくしたマリア(13世紀半ば) 象牙 高さ29.5㎝
工芸品部 第3展示室

《ナルボンヌの祭壇飾り》1375~78頃 絹に黒インク 78.5×286㎝
フランス絵画部 第2展示室

左岸の古寺もうで サン=ジェルマン=デ=プレ聖堂

Abbaye de Saint-Germain-des-Prés 140131 1

ルーブルの後は、ロマネスクの三兄弟 めぐり。
サン=ピエール、サン=マルタン=デ=シャン、サン=ジェルマン=デ=プレ。

Eglise Saint-Pierre de Montmartreサン=ピエール聖堂は、モンマルトルの丘の上のサクレ=クール(1914年完成)の右隣にある。後陣は12世紀の創建時のまま。
身廊入り口の朽ちた柱頭彫刻・・6世紀以降のモンマルトルに建造された修道院などからの再利用。

Paris (75), église Saint-Pierre, bas-côté sud, 1ère travée, chapiteaux dans l'angle nord-ouest(wikipedia)

Saint-Martin-des-Champsサン=マルタン=デ=シャン(”野原”)は元修道院。今は技術工芸博物館の展示室で、内陣にはフーコーの振り子がぶら下がっている。 
周歩廊の奥行きのある空間・柱頭彫刻もよく残っていた。

「ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』の舞台となり、
主人公のカゾボンが身を潜めて夜中まで隠れていた博物館」(

Paris - Prieuré de Saint-Martin-des-Champs - Église - Chapiteaux du déambulatoire -2
Paris - Prieuré de Saint-Martin-des-Champs - Église - Chapiteaux du déambulatoire -1
(wikimedia)にもたくさん紹介があるようだ‥


Paris - Prieuré de Saint-Martin-des-Champs - Église - Chapiteaux du déambulatoire -7(wikipedia)

Abbaye de Saint-Germain-des-Présサン=ジェルマン=デ=プレ(”草原”) 
修道院の創立は6世紀。
柱頭彫刻

パリ観光サイト「パリラマ」ン紹介(✳)

ロマネスク様式の建築で、現在では、パリで現存する最古の教会
「パリで最も修復を受けた宗教記念物」 (wikipedia
パリ観光サイト「パリラマ」 パリの観光スポット
https://paris-rama.com/paris_spot/021.htm

Ange 02a

Day3  シャルトルへ


※2019年6月3日 photo byM p20190603.html

パン屋とワインとおさげ髪 シャルトル大聖堂

<br> PhotobyM20190603

いやぁよく見てませんね。西正面扉口。右半身しかない羊飼い(はみ出した羊飼)って?ながーいおさげに体中を蔽うプリーツの乙女(?)は・・いっぱいいたと思うが・・
しかし写真は撮っていたので、あらためて拡大して見ます‥

 

Day4 クリュニーの至宝と壁探

クリュニー館の中世の秋 国立中世美術館


この美術館前の公園のベンチからの眺めが好きです・・
※2019年8月2日Photo byMp20190602.html

The Lady and the unicorn Desire

「私のただひとつの望みに」
クリュニーの至宝《一角獣を連れた貴婦人》のタピスリー
 1484~1500年 377×477㎝

「全体に濃密な愛の気配を感じる」(p89)
「ふかみのある赤が美しい」、
「木俣さんが中世美術史を志したきっかけは、このタピスリーを表紙につかった『中世の秋』(ホイジンガ)をよんだこと」(p100)

Day5 聖王ルイが愛した小さな町

廃墟のほとり ロワイヨーモン修道院

ロワイヨモン修道院 Abbaye de Royaumont
1235年に聖王ルイが建てた、シトー派会の修道院


www.royaumont.com

樫の木とカテドラル サンリス

ノートルダム大聖堂(サンリス) Cathédrale Notre-Dame de Senlis


www.mmm-ginza.org