漢字の八体

漢字(文字のおさらい 8)

『説文解字』序文
漢が興って草書ができた。
尉律に、学童の十七歳以上で初めて試験をする。 籀書(ちゅうしょ)九千字を諷(そらん)じると、史(官吏)となることができる。
また八体を試験して、郡から太史に移して、あわせて課す。
最たる者は、尚書の史とした
(17歳以上の学生で、文字をたくさん覚える事で官吏になれた)

八体

『説文解字』序文
秦には書が八体あった。



Wikipedia中国の書道史


大篆

中国最古の石刻である戦国期の「石鼓文」に用いられた書体 
 

小篆

「権量銘」
「始皇七刻石」の一部である「泰山刻石」・「瑯琊台刻石」
権力の象徴
小篆を中心とした字書『説文解字』 
 

刻符

割符に用いる字体 
 

蟲書

鳥書とも
頭の形が鳥になっているもので、幟(はた)に書く 

ぼ印

ぼ=莫+手(暮の日の部分を手に)
くねくね曲った秦璽の字体  

署書

題字に用いられる字体 
 

殳書(しゅしょ)

殳=つえぼこなどの兵器に用いた字体 
 

隷書

篆書と異なり横長になったのは、記録媒体が柾目の木簡に変化したため
筆記に適した文字に変化
今文
曹全碑
 

鳥書
中華印刷通史 http://www.cgan.net/book/より引用

末次 信行 殷代気象卜辞の研究

「篆書」「皇帝の文字」「手間暇のかかる文字」「篆は琢の意味」「大篆から小篆へ」
篆書は、皇帝の文字である。
始皇帝の刻石 (泰山刻石・琅琊台刻石):皇帝の巡行記念碑に篆書が 用いられていること
全国統一の大事業として度量統一の詔書の篆書使用、度量衡の標準器の 篆書の例
「篆書」の「篆」に「琢(きざむ)」の意味があるとの説から、篆書は手間暇 のかかる文字であること

篆書の流れ、すなわち「大篆」から「小篆」 への流れが、西周後期の典型的金文から「秦公簋」「石鼓文」、そして始皇帝の「小篆」 にみられるらしいとした。

「隷書」「臣下の文字」「書きやすい文字」「払い」
隷書は、臣下の文字であり、実用的な書体とした。
篆書がかなり簡略さ れ、書きやすくなっている。隷書の文字の横画に、筆の毛の硬さにまかせて、「払い」 、ハネる書き方がみられ、隷書を書くスピードが感じられた。

秦隷の実 例、お役人の実務をめぐる法律や規定とのかかわり、、、隷 書の出現も時代が溯りうる

楷書


古文━━━━━━籀文━━小篆┳━━━━━━━━━━━━━━━━━篆書
(甲骨文・金文)(大篆)  ┃
              ┗古隷━八分┳━━━━━━━━━━━隷書
                    ┃
                    ┣草隷━章草┳━━━━━草書
                    ┃     ┃
                    ┃     ┗
                    ┣━━━━━━行狎書┳━行書
                    ┃         ┃
                    ┃         ┗━
                    ┗━━━━━━━━━━━楷書

書の遺物

石鼓文

{{Information |Description= Inscriptions on Stone Drums,
Wikipedia

中国の石刻文字資料としては最古のもの
北京故宮博物院に展示(破損)
戦国時代の秦で作られたとする説が有力
狩猟を描写した詩(戦国時代、秦、献公、紀元前374年の巡狩説有力)
大篆


始皇帝の文字統一


小篆体で書かれた「始皇帝」
始皇帝(しこうてい、紀元前259年 - 紀元前210年

始皇帝の最も重要な政策に、漢字書体の統一が挙げられる
李斯は秦国内で篆書体への一本化を推進した。
皇帝が使用する文字は「篆書」と呼ばれ、これが標準書体とされた
臣下が用いる文字は「隷書」として、程邈
という人物が定めたというが、一人で完成できるものとは考えにくい

Wikipedia始皇帝
重臣の李斯

権量銘

「廿六年詔権量銘」の全文。度量衡の標準器に記された証明文「権量銘」の1つである。書体は秦の公式書体・小篆
Seal script was popular during 500 BC. to 200 BC.
and usually have some varieties. During 221 BC. Qin dynasity unified China and written styles, measures as well.
This is a standard written sample engraved in a unified iron weight for balance. c.221 BC.
中央集権制確立のためにさまざまな規格統一が行われた。その大きなものが、篆書体=小篆への書体統一と度量衡の統一であった。

度量衡の統一に際しては、決まった大きさの金属製ないし木製の分銅(権)や枡(量)を標準器として全国に配布することで行ったが、この際に公式に認められたものであることを示す証明文を公式書体の小篆を用いてものし、分銅・枡に添付することにした。


始皇七刻石

泰山刻石

4字36句の計144字からなり,3句ごとに押韻http://kotobank.jp/word/
泰山の麓にある泰安博物館において厳重に保存


瑯琊台刻石

瑯琊(ろうや、現在の山東省
中国歴史博物館(中国国家博物館)に保存

13行,86字


石経

石に経文を刻し、太学、つまり大学の門の外に立てたもの
『後漢書』霊帝紀(175年)
さいゆう 経典を石碑に正しい文字で正しく記す

特に儒教の石経は国家プロジェクトとして作成され、権威的な五経の定本および漢字の標準字体を示す役割を果たした。

Wikipedia石経

収容博物館

CMOC Treasures of Ancient China exhibit - Fragment of Xiping stone classics, detail
熹平石経(きへいせきけい)残石(中国国家博物館蔵)
記録に残る最古の石経 、後漢代後期に
洛陽城南太学門外に立てられた儒学七経の石経
同時代の儒者蔡邕の揮毫と史書は伝える。隷書体。


西安碑林博物館


http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/24530098.html
WEB検索

字の形
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080327/1206624224


文字という側面から藤枝晃は、始皇帝は君主が祭祀や政治を行うためにある文字の権威を取り戻そうとしたと評価

Wikipedia始皇帝

藤枝 晃 (著) 文字の文化史 (同時代ライブラリー83)

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クレオパトラ


サーチボックスあり